「しろ」
彼方未織様




二階建ての品の良い、京の建物がずらりと続く中に、一軒の店がある。周りに比べると、比較的細長いつくりになっていて、入り口は狭い。しかし、中に入ってみると天井は高く、意外と広いように思われる。

 扉が何個かあり、その扉の一番奥の部屋。それは、古びた青色をしていた。何年も前に作られたような、扉であった。

 部屋の中には、大きな机しかない。太い柱は剥き出しになっていて、それが部屋の雰囲気と合っていた。その柱に、寄りかかる黒い人影がある。周りの影よりも一回り小さい。

 沖田は暗闇に慣れた目で外を見て、立ち上がった。その影に向かって、音を立てぬように寄っていった。そして、軽く肩を揺すってみる。

 肩を揺すられた少女は、眠そうな目を薄く開け、大きな欠伸をした。

 「神谷さん、そんな大きな口を開けるのは、食べる時だけにしてください」

 呆れたように言うと、沖田はセイの頭を軽く叩いて、立ち上がった。ぼんやりとした目でセイが見ていると、沖田は振り返って笑った。

 「やっぱりお供に私が付いてきてよかったですね。神谷さんも私がいなかったら安心して眠れなかったでしょうし」

 沖田は対になっている柱の向こう側に行くと、再びセイのことを見た。それを受けて、セイはすっと立ち上がり、再び小さな欠伸が出かかったのを堪えてにっこりと微笑んだ。

 「おはようございます、沖田先生。やっぱりこの季節だと、どうも明け方は眠くなってしまいますよね。何ていうか、寝なくてはいけない、という気にさせられるというか・・・・・・・。そう思いませんか」

 眠くなるのは当然だ、とでもいうようにセイは言った。

 「まぁ眠ることも大切ですよ。それにしても、布団も敷物も無しであんなにもぐっすり眠れるなんて、流石は神谷さんですよ。私には、とても無理ですね」

 沖田はさらりと言った。

 沖田の人柄を問われれば、セイは返す言葉に窮してしまうだろうと思うほど、未だによく掴めてはいない。たぶん沖田自身でさえも、分かってはいないだろう。ただ、沖田の言葉にはいつだって裏や表が存在しないことは確かである。少なくともセイはそう捕らえている。だから先程の沖田の発言も、そのままに受取ることが出来るのだ。

 そう思いながら、沖田がもう帰ろうとしていることを察して、立ち上がったままでいた。

 障子に手を掛け、沖田はゆっくりと開けた。

 「では、お先に失礼します。蝋燭の火、ちゃんと消してくださいね。それと・・・・・・・」

 沖田が横目で部屋の隅を見て、再びセイに顔を向けた。

 「はい、私が責任を持って連れて帰ります。ほら、沖田さん、早く行かないと鬼副長に怒られますよ。昨日はただでさえ機嫌が悪かったんですから」

 「やんなっちゃいますよねぇ、土方さんも意地っ張りで。それだけでも大変なのに、その上除け物にされると、すぐ怒るんですから。雷が落ちないように、頑張ってきますよ」

 「えぇ、頑張ってください。私も・・・・・・・」

 セイは困った顔をした。

 「お互い、苦労しますね・・・・・・」

 二人は目を交わして、苦笑した。

 「では、お先に失礼します」

 「はい」













 沖田が戸を閉めると、セイは静まり返った部屋の周りを見渡して、気持ち良さそうに眠る者に向かって近づいていった。距離が縮まるにつれて、日本酒の香しい匂いが鼻を擽るようになっていく。

 起きたばかりの脳には、あまりよくは無い刺激だ。この香りだけで、酔ったような感覚になってしまう。

 彼は、時折ごろりと音を立てて動いた。その姿をセイは目を細めて見ると、右の足で思いっきり蹴っ飛ばしてやった。少し反応したのを見て、思いっきり上に飛び乗ってやる。

 「いってぇ!!!うわぁっ!!」

 彼、永倉は大きな悲鳴を上げて混乱したように暴れたが、すぐに自分の置かれている状況を理解したようで大人しく両手を挙げることにしたようだ。

 「降参」

 「・・・・・よろしい」

 セイはにんまりと笑った。

 「降参するから、早くどけっ」

 「何ですか、その態度」

 「・・・・・どいてください」

 永倉は両手を更に高くあげて、掠れた声で言った。

 セイはその声を聞いて、抱きつきたい衝動に駆られたが、それを抑えて望みどおりに永倉の上から退いた。

 汗の有機的な香りとお酒の匂いが混ざり、セイの脳を刺激した。それだけではなく、永倉の肌蹴た着物からは鍛えられた肉体が見える。うっすらと鎖骨の線が出ていて、それは夏の光で焼かれた肌に包まれていた。

 セイは眩暈がおきるような気持ちがした。体の芯が暑くなっていき、心の臓の音が大きくなっていく。それと共に、ぐるぐると熱い血が体中を駆け巡っていくようだ。

 そんな自分を慌てて叱咤した。女の子が考えることじゃない。自分を恥じるように思った。

 「あー、ほんっとうに申しわけない。昨日は、飲みすぎた。あんまり、覚えてねぇんだけど、迷惑を掛けただろうなぁ。ほんと、悪かった」

 いつもよりも低い声で、永倉は誤魔化すように言った。謝る事はするけれど、全然反省していないところが、彼らしい。

 「確かに、飲みすぎでしたよ。覚えていませんよね〜、その分じゃ。一から十まで説明をして欲しければ、私が丁寧に言ってあげてもいいですけど」

 セイは口角を上げて言った。

 「やっぱり覚えてない・・・・・んだよなぁ。その前に、この広い部屋に俺らだけって・・・・・・」

 永倉は思案するように、難しい顔をしてセイの顔を見た。

 「残念ながら、皆さん帰られました。因みに、昨晩あまりにも大暴れして絡みだした永倉さんを、一番初めに置いて出て行ったのが原田さんでしたよ。薄っぺらい友情ですねぇ〜。永倉さんとの友情より、愛する妻を取るのは当然だろうけど。それから暫くして、今度は永倉さんが大泣きしてまたまた絡みだしたから、斉藤さんも他のお店に行っちゃいました。最後に残ったのが、私と沖田先生だけ。あっ、沖田先生は朝一番で屯所へ帰られました。ほら、副長がご機嫌斜めだと思うので」

 セイは眉間に皺を寄せ、土方の真似をした。

 「だから、永倉さんが心配するようなことは、起こっていません。ふふっ、変な心配するくらいなら、皆さんへのお詫びの言葉でも考えた方が、良いと思いますよ」

 「ん・・・・・。俺、そんなに悪酔いしたんだ。すまなかったなぁ、神谷」

 しゅんとして、永倉は泣きそうな顔になった。まるで、犬みたいだな。神谷は自分の思いつきに、苦笑してしまった。しかし、自分よりも大きな人が犬みたいに感情を豊かに表して、ましてやそれを自分に向けていてくれるなんて嬉しいものだ。セイは永倉に顔を近づけて、ぼさぼさの頭をなでなでしてあげた。

 「さっきのは、冗談。気にしないで下さい。それよりも、私たちもなるべく早く帰らなきゃ。怖〜い鬼副長が待っていますから」

 そう言ってセイが立ち上がると、永倉も気だるげに重い腰を上げた。

 部屋をあとにしてから、前を歩く永倉から小さな鼻歌が聞こえてきた。嬉しい時や楽しいときだけに口ずさむ、永倉のお気に入り歌。それを聞いているうちにセイまで楽い気分になってしまって、やっぱり憎めない人だ。改めてそう思ってしまった。













 二人は徐々に顔を見せ始める太陽の光を背に感じながら、ゆっくりと歩いた。店の並ぶ通りでは既に主人や使いのものが道を行ったり来たりして、二人と目が合うと人の良さそうな顔でお辞儀をした。二人も、軽く会釈をして通り過ぎていく。

 それから徐々に建物の大きさや形が変わっていき、通りではあまり人を見かけないようになっていった。

 時折永倉の話す冗談や、楽しい話に身を委ねてセイは楽しい時間を過ごしていた。

 永倉の周りだけ、時間の流れが違う。逆らうように急ぎ行く中で、彼一人だけがゆっくりと進んでいた。だから、セイはただ単純に永倉の傍にいることが好きだと思っていた。永倉の周りに漂う、彼の住まう空間が好きだった。

 「あれっ、どっちに行くんですか」

 セイは首を傾げた。

 永倉はセイとは反対方向へ、道を曲がろうとしたからだ。

 「こっちから、遠回りして行こうぜ。こんな時に急いで帰っても、良いことないからさぁ」

 永倉は大きく溜息を付いた。

 「少しくらい遅くなっても、関係ないだろ。この際、もっと遅れて土方さんを不機嫌にさせてやろうぜ」

 「えっと・・・・・。まぁ、副長を怒らせるつもりは無いけれど、私もゆっくり帰りたい気分ですから、賛成です」

 「でも、土方さんより、きっと、今頃総司がヤキモキしてるだろぉな」

 「ふふっ、何ですか、それ」

 セイは苦笑した。

 「何ですかねぇ、総司は」

 はぐらかすように永倉は上を見て、今日は晴れるぞぉ、と付け加えた。

 徐々に青みを増していった空には、小さな雲が群れを成すように浮いている。その先には、うっすらと月が覗いているだけ。

 「はい、今日は良い天気になりそうですね」

 セイがちらりと盗み見た永倉の顔は、少しだけ困っていたように見えた。永倉は見透かしたようにセイの方に視線を変え、神谷は子供だなぁ、と苦笑した。










こちらは、未織さんのサイトが閉鎖された際に、DLフリーだったお品です。

あぁ、また一つ大好きだったサイトさんが閉鎖されてしまいました。しくしく(><)

彼方さんの流れるような文章と読み手に任せられた行間の読みとの絶妙なバランスが私は好きです。

かすかに揺れ動く心の機微を感じさせてくれるお味が大好きでした。

彼方さん、今までお疲れ様でした(*^^)

ROM専からついに抜け出せなかったけれども、女将はいつも未織さんの作品を楽しみにしていました。