「だんなさん、ええ香り」
重ねた緋色の布団の上で、妓が言った。
「天神さん、満開どしたやろ」
「お前の香りじゃないのか?」
「いいえ」
「なら、黙っていろ━━」


俺は静かに、妓の胸元を開いた。



「梅の香り」

六花様




昨日から小姓の神谷が休暇でいない。
久しぶりに一人でのんびりと吟行しようと、屯所を出たのだ。
幸い春も酣、天神さんに参りながら、上七軒の妓の元へ隠れようと思っていた。
午後のホカホカとした陽気が気持ち良い。
やっとこの京の寒い冬が終わったのだ。


西本願寺の楼門を出ようとしたところで、十番隊の巡察と行き会った。
「土方さん、妓のところだね」
原田が密かに小指を立てて、耳打ちする。
「うるせぇよ」
フン、と睨み返すと「総司も妓のとこらしいぜ」
「はぁ? アイツは甘いもんだろ?」
訝しむと、原田はキヒヒと笑い「どうだかな」と踵を返した。
その後姿を見ながら、気になることはあったが、取り乱すのも癪なのでそのまま出かけることにしたのだ。



発句帖と矢立を手に、北野天満宮をゆっくり回り霞む空気に浸った。
発句が出来ようと出来まいと、春は好きなのである。
茶店で一杯の茶を飲んだ後、頃合を見計らって妓のところに行く。
が、天満宮の門のところで何人かの男たちが一人の女に群がっていた。
「止めてください。 ぶつかったことは謝ったじゃありませんか!?」
「あんなんじゃ、足りんのぉ」
「こんなところにいるくらいじゃ、お前も素人じゃなかろう?」
「一緒に来て酌をしろ、金ならあるぞ」
バカらしいとは思いながら、女の歯噛みが聞こえたようにも思えたので割って入ることにした。
「こんなところで何の騒ぎだ」
そう俺が声を掛けると、一様にぎょっとして目を向ける。
男は三人で、みな素浪人の風体だった。三人揃って突然現れた俺に向かい剣呑な視線を投げる。
ふん、三人揃っても大したことねぇ。
一番妙だったのはその女で、さっきまでの歯噛みして悔しそうな表情をがらりと変えた。
その様子を見て辟易したのは、こっちのほうだった(!)
「お前かよ」
溜め息混じりに毒吐くと、女は苦虫を噛み潰したような顔をした。
俺は浪人たちに向き直り溜め息交じりに、「悪いことは言わねぇ。ソイツは止めておけ」
「なにぃ? 欲しけりゃそう言え。 力づくなら相手になるぞ」
けっ、頼まれてもイラねぇよ。熨斗付けてくれてやるぜ、と言いそうになりコホンと一つ咳払いをする。
「力づくならそれでも良いが……」
「いいえ、止めたほうが良いですよ」女は自分の袖を掴んでいる浪人に縋って言う「人死にが出ますから」
「オウ、すぐに片付けてやる」
縋られた男は勘違いしている。
多勢に無勢を嵩に着て、ほかの二人は刀の鍔に指を当て、今にも鯉口を切る気満々である。
「止めてください、こんなことくらいで!」
顔色を変えながら、女は俺に向かって叫んだ。
「お前がそれを言うかよ。誰のせいでこうなったんだよ」
「別に、私のせいでは……」
女は浪人の袖を離して、唇を噛むと俯いた。いつもの仕草だ
「この女は俺の連れだ、文句があったら西本願寺に来い。
新選組副長土方歳三を尋ねてきたといえば、丁重にお持て成しをするぜ」
浪人たちは「新選組の土方」という名に今までの態度を引っ込めて、後退る。
言いたいことは言ったので、俺は女の手を取り天満宮に引き返した。



「ナニをやってんだよ。もうすぐ日が暮れるじゃねぇか」
梅の咲き乱れる境内で、互いに渋面を付き合わせる。
「いえ、ちょっと……」
「大体お前、休暇なんだろ?」
暗に、「お馬だろ?」と言っている。
夕闇が濃くなってきたのか、女の顔が朱に染まる。
食って掛かってくるかと思ったら、女は俯いたまま口を噤んだ。
が、……。
「あ、」突然、俯いてた女が声を上げて「簪……」
揚げた左手が前髪の傍を探るが、あるはずの花簪がない。
女は俺を置き去りに、今来た参道を戻りさっき男たちに絡まれていた辺りに戻る。
思い当たるところにしゃがみこみ、辺りを探る。
見つかった花簪はもうくしゃくしゃに踏み散らされていた。
縮緬の、薄紅と白の梅の花だった。
女はしゃがんだまま、簪を大事そうに抱く。
「仕様がねぇよ、お前の迂闊だ。
あんなヤロウどもに絡まれやがって」
女はしおらしく(反論してくると思っていたのに!)小さく頷いた。
肩を小さく震わせて、泣いているのだろうか?
言い過ぎたかなと少し後悔した。
「総司からの贈り物か?」
「違います」涙声で、頭を振り「お里さんが、給金の中から毎月一つづつ揃えてくれたんです」
スンと小さく啜り上げる。
俺は、相手に聞こえないようにそっぽを向いて一つ溜め息を吐いた。
そして手拭いを出し、細長く裂くと口にくわえる。
近くの梅の木を吟味して(俺が)気に入った梅の木の枝の先を何本か手元に伐った。
満開の梅の細い枝から余分な花を取り去り、小柄で枝を更に細く削る。
同じように他の枝も花を落とし枝を削る。
そんなことを繰り返して、最後にその削った部分を手拭いで枝中ほどから切り口近くを巻いた。
縮緬の職人の手には及ばないが、一応頃合いの簪が出来た。
「おい、顔を上げろ」
目の端に涙を溜めて、女はしゃがんだまま俺を見る。
屯所では見たことのない、薄い化粧が女の幼い容貌を大人っぽいものにしている。
俺も女の正面に片膝を付き、挿すところがぶれないように女の頤に手を掛けた。
いつも見慣れた容貌なのに、髪の形だけでなんと変わるものだろう?
普段前髪に隠された額は白く秀で、形の良い眉も長い睫毛も、明らかに女子の艶が漂っていた。
年頃の、娘なのだ。
俺は知られぬようにひっそりと息を呑む。
口を開いたら余計なことを言いそうで、またそれが賛美の言葉でも、いつものようなからかいを含んだものでも、この場には合わないような気がした。
女は大人しくされるままになっている。
「代わりだ。こんなのでも仕方があるまい」
女は呆然とした顔で俺を見上げ、俺の手が頤から離れると急にポッと頬を染めた。
そしてギクシャクと左手を揚げ、俺の挿した花に触れる。
と同時に、紅に光る唇を噤み、何かを飲み込んだようだった。
「もう立て。いつまでもこんなことしているな」
ぶっきらぼうに言った、俺自身にも必要な言葉だった。
夕暮れの中で、春に似合いの着物を着け、簪と化粧に彩られたソイツの姿から目が離せなくなりそうだった。



その時背後で、ガラッと履きつぶした下駄の音がする。
「あれぇ、土方さん。どうしたんですか? こんなところで」
総司はいつもと変わらず、にこやかに俺たちに寄ってきて女にも声を掛けた。
「あぁ、綺麗ですね」
ふふと笑うと総司は女に「お待たせしてすみません」手を差し伸べて「神谷さん」
「あ、いや、今日はおセイさんですね」
総司は嬉しそうに頬を染め、当たり前のように女の手を取った「行きましょうか?」
「え? 行くって? 天神さんでお花を見るって」
「でももう遅いし、食事でもしてお菓子を食べて……」総司はそう言いながら目を上げると、俺に視線を投げた「土方さんは近くの御茶屋に馴染みの妓(ひと)がいるんですよ。まさか邪魔するわけに行かないでしょ」
いつもの笑い話のつもりだろう、いたずらっぽい表情で女に説明する。
「さ、神谷さん」と女を促し、総司は俺に手を振った「ごゆっくり」



ぼんやりと立ち尽くす俺を、二人は振り向かずに去って行く。
これからどこに行くのだろうかと考えるのは野暮に思えるが、「ま、総司に限ってソレはない、かな……」
我知らず、唇を噛む。


誰でも良い、無性に、誰か女を抱きたくなった。
元々そのつもりで来たはずなのに、悔しいくらいそう思った。



この想いがどこから来るのか、俺には判らなかった。






夕闇の中、天神川のほとりを二人で歩いていた。
総司はセイの手を放さない。いつもとは違う力でしっかりと握り込む。
歩調も普段とあまり変わらず、女姿のセイはその手に縋って小走りに付いて行くのが精一杯であった。
そのうちに息が切れ、腹まで痛み出した。
「先生、もう少しゆっくりしていただけませんか?」
「ああ、」荒い呼吸の神谷の声を耳にして、総司はやっと気付いたように「あぁ、すみません
今度は急に立ち止まると、「ごめんなさい、動きにくいのにね。でも……」
「でも?」
「なんだか、あそこにいたくなかったんです。
 土方さんと一緒のあなたを見るの、何となく嫌で」
総司はセイから視線を外し、顔を背けた。笑っていなかった。
そうして一呼吸おいた後セイに向き直り、いつものように微笑むと「綺麗な簪ですね」と花簪に手を添えようとする。
が、その手を強く握り、静かに下ろした。
「この花、知っています?
 梅の中でも一つの木に白と紅の花が一緒につくんです。『違い輪』って言うんですよ」
珍しいことを言う。
そして続けた、消え入りそうな声で「別名を『想いのまま』……」
二人の間に沈黙が垂れ込める。
セイは必死に笑顔を作ると
「嫌だ、先生ったら! 随分艶っぽく聞こえるじゃありませんか」
笑おうとして、開いた口に手を添える。



その左手の指先から、ほのかに香る梅の香り━━。
気付かぬ振りをしていたのに……、
降る様に自分に纏うこの香りが、強くセイを刺激する。




今宵の香は、伽羅か、沈香か……それとも━━。


黒紋付から香る……。



なぜかジンワリと目頭が熱くなり、押さえようもなく涙が零れ落ちた。


どうして涙が出るのか、セイには判らなかった。



                          《了》




六花さんから頂きました、歳とセイちゃんと総司の三角関係風味のお品で御座いますv

三人の心理面がとても描写されていて、とてもきゅんときてみたり(^^♪

歳が即席でセイちゃんに簪をさすところは流石は女たらし暦○○年の御仁でございます(笑)
でも、毎月一つずつ揃えた明里さんの気持ちも分かりますよね。
セイちゃんの姉、そして時には母のような立場として、 着飾れぬセイちゃんにせめてもの居続けのときぐらいは・・・・という気持ち。
セイちゃんが女子の格好をしていたのも、居続けの間だけは女子に戻れるようにという 明里さんの気遣いがあってのことかもしれませんね(^^)

セイちゃんを助けに入った時の歳とセイちゃんの互いの表情が「あっ」「ちっ」のような感じだったのだろうなぁと妄想してみたり(笑)
また、総司ですが、本当はもう少し前から歳とセイちゃんの様子を伺っていて頃合を見計らってあの場に出てきたのかもしれないとも想像してみたり・・・(^^ゞ


「違い輪」のことは初めて知りました。
そういう意味があるのですね。
そういう意味合いを込めて歳が簪をさしたのだとしたら、ますます脳内にお花畑が広がってゆくような気がいたしますvv
如何せん、梅は歳が好きな花でもありますしね・・・・(にやり)


六花さん、この度はとっても素敵なお品をどうも有難う御座いました(^^♪
背景、折角だから「違い輪」の素材を使用してみたかったのですが、生憎見つからず残念です。
とても艶のあるお話をどうも有難う御座いましたvv