「理ーことわりー」
六花様
冷たい人
ずっとそう思っていて。
だって、あれほど親しんだ山南先生を切腹させて、近藤局長の訃報にも泪を見せないなんて。
でも……
「別れとは一体なんだろう?」
あの時あの人は暗い庭を眺めながらそう呟いていた。
誰かからの答えを期待してのことではなく、自身の中の疑問を口に出さずにいられない表情で。
今ならこの"疑問"の意味が判る。
別れとは一体、如何いうものなんだろう?
だって江戸で沖田先生と別れたとき、私は先生が本当に病を克服すると思っていたのだろうか?
あの苦しそうな咳を止めることが出来ず、病の床から身を起こすことさえ辛そうにしていた先生が。
いつか本当に戦線に復帰できるとでも思っていたと?
闘っていればいつかまた先生と肩を並べて……
いや違う。
そんなこと、判りきっていたはずで。
もしも先生がこの世を去るその最期の一瞬まで、ほんの刹那までその命を視ていたいと思ったら私は江戸を離れるべきではなかったのだ。
先生のお傍を、一時でも先生の傍を離れることは……
「神谷」
低く静かな声が耳を打つ。
私は声のしたほうへ視線を向ける。
何だかヘンな感じ…、自分の身体なのに自身はどこか別のところで私を見ているみたい。
「神谷」
もう一度、同じ声が聞こえた。
いやだ、この人ったら…何故こんな表情(かお)してるの?
私は思わず、副長の顔を見て噴出しそうになった「なんでしょう?」
ニッコリと旨く口角を上げて、いつものように笑う。すると土方先生は一つ息を呑み「大丈夫か?」と問う。
「大丈夫です」 もう判っていた事だもの。
「称名寺(箱舘市中新選組屯所)に行く、共をしてくれ」
はい、私は頷いた。
沖田先生の訃報が、この蝦夷まで海を渡ってきたのは師走に入ってからだった。
会津に落ち着かれた松本先生が江戸に戻ってさらに調べてくれた後に訃報は発ち、挙句に会津以降落ち着かなかった私たちのもとへ長い旅をしてきた。
もう半年も前のこと。
とっくに百ヶ日も過ぎて、沖田先生の骸は土に還りこのうつつには無い。
でもそれで今の私の何が変わるというのだろう?
いつものように朝起きて、上司の世話をして。
箱舘の町へ使いに出ることもあれば、土方とともに戦場に立つこともあろう。
こんな風に馬に乗って市中の取締りという仕事もあるし、若い隊士たちの面倒も見なければならぬ。
お腹が空いて、眠くなれば床に入る。顔を洗って用を足して、……
沖田先生がここにいない━━ そんな当たり前のこと、今更何を嘆くことがあるんだろう?
「降って来た……」
前を行く馬上で、土方が空を見上げた「通りで寒いはずだ」
「そうですね」
私もつられる様に同じ空に眼をやる。
どんよりと鉛を流したような重い空の色が最近では普通の空になっていて、私はもう、あの京の青い空を忘れてしまった。
春には咲き乱れる花も、夏の青々とした木々の木漏れ日も。
燃える様な秋の紅葉も……のどかな冬景色も。
冷たく重い北国の風景にすべて塗り替えられてしまって……
いつの間にか、箱舘山の麓を馬で行く。
「先生、称名寺に御用でしたのでは?」
「いや、急がない」
そう言って土方は馬を下りた。
そして私の馬のもとへくると、手を伸ばす。
「一人で降りられます」 そう言って、土方の手を借りずに馬を下りる。
以前一度だけ女扱いしないと言ったきり。
以来本当に女子として扱われたことは無くまた、互いにそんなことを当てにせずにいた。
そのつもりだから、こんな風にされると何だか気持ちが悪い。
「いやだ、先生。
私は大丈夫です」
笑って見せると、土方は眉根を寄せて言った「泣いてしまうと、楽になることがある……」
チラチラと雪が落ちてくる。
私は何も返せなくなって、口を薄く開けたり閉じたりした…「何故? 泣くなんて?」
こんな会話をしたことがある。
あの時は……。
陥落した宇都宮の城を再び獲られて、度重なる連戦に皆が疲れ果てた頃。
足を負傷した土方が風邪をこじらせたのをイイコトに皆で休みを取ったのだった。
ゆっくりしようとした矢先に、その知らせは届いた。
一枚の、ヨレた料紙に描かれた局長の梟首された姿。
堪えきれずに大の男たちが声を上げて泣く中、微動だにしない土方が……
こんな時にさえ、泪を涸らしたように泣くことの出来ない男が……
私には哀れで、悲しくて。
どうにかしてやりたい気持ちでいっぱいになった。
例えば、私の中の「女」が役に立つなら━━それでも良いとさえ……。
不意に土方の腕に抱かれた。
湿った白い吐息が私の頬に掛り、ふうわりと暖かくなった。
あの夜と同じように、でもあの時よりも余程優しく、土方は私の唇を吸った。
私もそれに応えて。
その体温に包まれる。
あの時と同じように私の腰は砕けたように力を失い、冷たい路肩の下生えに倒れこんだ。
こんな時に優しいなんて、大ッ嫌い。
いつもいつも冷たくて、冷静で何ものにも左右されることなどない人なのに。
こんな風に温かいなんて酷い。
そうでしょう? 沖田先生。
貴方みたいにいつも天真爛漫で剣だけに一所懸命で、仕事と甘いもののほかには何も拘らずに生きていて。
いつも私に優しくて、楽しくて、気遣いをくれる。
なんだかんだと言いながら私を温かく見守ってくれて、困ったときには必ず身を挺して助けてくれる。
副長なんて、……
いつもイジワルで、いっつも悪口ばかり言って、近藤先生以外の人を認めなくて、私なんか本当にそこいらの紙くず同然で……。
なのに、こんな時に優しいなんて酷すぎる。
沖田先生にも任せなかった私の中のすべてをここで、この人に預けてしまいそうで。
同じように哀しい思いを抱えているこの人に。
「ふくちょ…ぅ……」
私は必死で、自分を立て直そうと必死で土方に呼びかけた。
こんな風にこの人に甘えてしまいたくない。
きっと溺れてしまって自分でいられなくなってしまう、だから。
私の瞳からは、止めどもなく泪が溢れて。
そうして降り積む雪の中で、土方の懐のうちで、わんわんと声を上げて泣いた。
いつか沖田先生がそうしてくれた様に、土方の衣を泪で濡らした。
人を好きになる気持ち。
恋をするというのはもっと自然で何のこだわりもないことだと思っていた。
優しくて温かい人に惹かれるのが道理と、絶対にそうだと思ってた。
でも本当は違う。
この人が好き。
この酷い人が好き。
イジワルで、哀しいくらい意地っ張りで。
時に人を寄せ付けない冷たさが好き。
その悲しさが好き。
なんの理(ことわり)もなく……
どうしようもなく……
沖田先生、私は如何してしまったんでしょうか?
ずだーーーんっっ!
行き成り耳元近くで銃声がして……
私は自分の耳を疑った。
だって、前線はここからもう少し離れている。
大野さんが確かに小隊を引き連れていったはず……
頭の中で何の音なのかぐるぐると考えめぐらしている目の前で、紅い陣羽織に黒い軍服の背中が崩れるように落馬した━━
土方の馬の轡を取っていた沢が駆け寄り、助け起こす。
私は一体、何が起こったのか理解出来なくて……
まるで何か幻でも見るような、そんな風にしか捉えることが出来なくて……
先生、
土方先生?
どうして落馬なんて………
「神谷っっ! 馬から下りろっっ!!」
沢さんの声がする。
同時に私の身体をすり抜けるように幾つかの銃弾が奔った。
歩兵が一人、私の足を引っ張って。
私は何が何だか判らずに身を低くする。
土方の馬を守っていた立川が、私の背後の森の中に銃を放った。
「アイツだ、斬れ!」
そう叫ぶと間髪も置かずに抜刀し、森の中へ駆け込んでいく。
「神谷、先生がお呼びだ」
いやだ、首の筋が如何かしてしまったのかしら……旨く身体が動かない。
沢の膝に抱えられている土方の、陣羽織が見る見る水を含んだように光を帯びて、内側の黒い軍服が異様な色に染まる。
そのうち乾いた色の土の上に深く紅い、真っ赤な………
「せ……せ……んせ……ィ……」
私は口を覆う。
苦しい、…呼吸が足りない……
違うっ!
こんなことしていて良い訳がないじゃないっ。
早く病院へ、一刻も早く、お医者に診て貰わなければ……なのに………
「如何しよぅ…」身体が、う ご か ない……
せんせい…せん……
沢と立川が語らって後、立川は数人の部下を連れて姿を消した。
「今立川が大八を借りてくる。
お前、先生を城へお連れしろ」
沢が私の肩を強く揺すり、「しっかりしろっっ!」
その沢の声が気付けになったのか、先生が重たそうに眼を開けた。
沢が必死の形相で呼びかける、先生! 土方先生っ! しっかりしてください!
「いま医者に診せますから。
こんなところで死んだりしたら、局長に顔向けできねぇと…いつも言っていたじゃぁないですかぁ」
最後は沢の声も泪を含んで。
土方は苦しそうに頬を歪めて、笑ったように見える。
ぱくぱくと血の滲む唇を震わせ、耳を寄せた沢に某か伝えた。
その後に、ふ…と視線を動かし、その瞳が私を呼ぶ「なきむし……」
吐息が私に問うた、「やくそ く、覚え ……る か…?」 力の入らない指先を私に向けて。
「覚えていますっ、覚えていますから」
私の顔を見つめたまま、土方は僅かに眉を寄せ、ばか、わすれっ……ちまえ…、と笑う。
その言葉は土方の、最期の言葉だった。
うっすらと涼しげな瞳を私に向けたまま逝ってしまった。
私を、見つめたまま━━
その半眼の瞳を見つめたまま、私の時も止まった。
如何して私は、ここにいるんだろう?
沢が土方の身体を揺すって、男泣きに暮れる。
立川と他の者たちが戻ってきて呆然と立ち尽くした。
私は何か、不思議な芝居でも見ているような感じがして、自分がどこか全く普段とは違うところへ来てしまったのではないかと……
ただ……
あの瞳はもう動かない、そのことだけが全身を支配して。
力という力がすべて地に堕ちるように私から抜け出してしまったようで。
もう私に、"普通のこと"なんておこらない。
だってもう私自身が普通でなくなってしまった。
先生が全部持っていってしまった。
先生が……
「とりあえず城へ運ぼう。
残っている者でだけでも、きちんと葬儀をして」
立川がスンと鼻を鳴らしながら提案するのを聞いた。
集まった人間が皆、ボロボロな顔を上げて頷く。
私は無意識に、馬の鞍に括り付けてあったゲーベル銃をつかむと先刻狙撃犯の潜んでいた森へと歩いた。
どこか静かなところ。
先生が悠々眠れるところ。
木の根の隙間を見つけると、私はそこに銃尾板を突き立て掘り始めた。
先生が眠れるところ。
ゆっくりと、安らかに、眠り続けることの出来るところ……
「おい、神谷」 立川の声。
「神谷、城に戻ろう」沢が言う「先生をちゃんとしてやらなきゃ…」
私は掘り続ける。
「神谷っ、しっかりしろよ!」
いやだ、私はしっかりしてる。
頭だってはっきりしているし、自分が何をしてるかちゃんと判ってる。
「神谷!」
立川が私の肩を引き止めて、「もうやめろ、城に戻って…先生を綺麗にしてやらなきゃ……」
ううん、だめ。
五稜郭に戻ったら、皆が寄ってたかって先生をバラバラにする。
私知ってるんだから。
榎本総帥も、松平公も永井様も。
皆先生の首を欲しがっていること……。
先生の首、指の一本だって新政府軍に持っていけば恩賞が出るって。
皆が話しているの、私聞いていたんだからっ。
だからダメ。
絶対、誰にも渡さない。
「絶対渡さないっっ。
もう逝っちゃったんだからっ」 先生は私のもの……
私は掘り続ける。
掻き出される土と地面を打つ鉄槌の音しか聞こえない。
ややあって、私は立川の手に抱えられて動きを止めた。
「そんなことあるわけがない。
幾らなんでも一軍の将をそんなふうに扱うなんて、周囲が認めないはずだ」
だから落ち着け、立川は私の耳元でそう言った。
そう言いながら、その表情には疑心の色がありありと浮かんでいて、私は益々不安になる。
そうして立川は数人の部下に、まとまって前線の大野に"このこと"を報告に行くように伝える。
私にはすべてが作り事のようにしか思えない。
先生がいないのに、私がどうしてここに居るの?
先生がいて、憎まれっ子みたいにふてぶてしく生きていて、私の往く道にも理があったはずなのに。
「立川……」
密やかな沢の声が森の中に響いた「俺は、神谷と一緒に行く」
「先生が亡くなって今更、俺には蝦夷共和国なんぞに義理はない」
神谷のように先生が切り刻まれるとまでは思わんが、「だからと言って、本当に先生の死を心から悼むのは我ら側近と、新選組の数人だけだ」
「沢、……」
「義理を欠くといえば島田さんや中島さんくらいなもので、榎本総帥にも大鳥先生にも結局馴染めなかった。だから……」
出来ることなら我らだけの手で、先生のために泪して弔ってやりたい。
先生を埋葬したらそのまま出奔する、先生の故郷に事の顛末を伝える為に。
そう言った後、沢は私に向かって言った「神谷、こんなところじゃダメだ。
ここで先生が倒れたことが知れれば、すべて掘り起こされるかもしれない。
もっと静かなところはないのか?」
沢の泣き腫らした目に、私はじっくりと考えた。
先生とよく行ったところ。
称名寺
郭内の塚
あとは……
「箱舘山……」
沢と立川は眉をひそめた。
遠すぎはしないか?
人目についたら如何する?
「いや、行こう。むしろここでのんびりしていたら機を逸する」
そう言った後の沢の行動は素速く、一度は大八車に横たえた土方の骸を馬に乗せ、縄で括りつけると同乗し「神谷、案内しろっ」
立川が私の腕を引き、馬に押し上げるとやはり同じように私を抱え込んで後ろに乗った。
「しっかりしろっ! 先生はなんと仰っていたんだ?」
なんて?
なんて言っていた?
「箱舘の町が一望できるって……
港が見えて、あぁあの向こうに江戸があって勝ちゃ……や総…司…が……ねむっ……」
風が目にしみて、私は堪えられなくなった。
馬の背に突っ伏して泣く。
麓から少し登ったところの農家に寄り、農具を貸してもらう。
人が通っていつの間に整地されている道を避け、馬を牽いて木々の間を入り沢と立川が場所を選んでくれた。
先生がいつも焦がれるように眺めていた、故郷を望む場所。
先生が、安らかに眠れるところ。
三人、無言で作業に没頭する。
いつの間に汗みずくになり、泥だらけになり、どこかを傷めても三人とも声を上げない。
たっぷり一時と半の時間の後、縦六尺強・横に三尺ほどの穴を掘った。
少し深めに…私が頼むと二人は半間よりも僅かに深く底を攫ってくれ……。
二人で担って丁寧に土方の遺体を納める。
何だか私は一気に気が抜けたような気がして、やっと安心できると胸を撫で下ろした。
二人が墓穴から上がると、入れ替わりに私が降りる。
腰に刀を納める為に巻いていた晒しを取り、何度か折り返すと先生の顔を拭う「良かった、……」
私は下から二人を見上げた「お二人のお陰です、私一人では如何にもなりませんでした」
二人は顔を見合わせ苦笑して、礼を言われることじゃないと口々に言う。思いの外、二人自身が満足げなことが私を救ってくれた。
遠く、沢の背後の山肌に少し開けたところがあって早咲きのオウバユリが群生しているのを見つけた。
こんな風にやっと周りが見えるようになったと、気持ちの落ち着いた自分を思う。
ザ……と風が薙いでたくさんの白い花がまるで波のように山肌を揺らす。
私の視線に気がついた立川が、沢を誘って花を摘んでくると踵を返す。
「そうだな、お前…」沢が私を労わるように見つめた「先生とちゃんとお別れしろ」
そうだそうだと立川も頷き、二人はゆっくりと花畑へと歩み始めた。
「沢さん、立川さん!」
私の声に二人は振り向く。
三人互いにすっきりとした顔を上げ、微笑みあった「本当に、ありがとうございました」
私がそう告げると二人は困ったような顔をして「お前のためじゃない、気にするな」 立川が返す。
二人はまるで似合わない様子で、花の波の中に身を投じる。
私はその景色をジッと見つめ、それから私の膝元に眠る男の顔を覗き込んだ「先生も幸せ者でしたね」
私は土方の隣にその大小を横たえ、ついで私自身の腰のものも一緒に納めた。
「約束、先生のほうこそ反故にしないで下さいね?」
これが貴方をうつつで見る、最後のとき。
こっそりと、他の男たちに見えないように短く口づけると私は土方の陣羽織の下、懐から短銃を取り出した。
教えられたように、弾倉を確かめ安全装置を確かめ……
米神に当てた━━
『俺が先に逝ったら、迷わずついて来い』
貴方だけが私の「 」だから……━━
《了》
*** あとがき ***
女将さんvvv
この度は《風光庵━huukouan━》の壱萬打企画に
ご参加くださりありがとうございました。
「理(ことわり)」は数あるお題の中でも書いてみたいものの一つでした。
最初に考えていたのはセイちゃんが歳三に「どうして惹かれてしまうのか」という
理(ことわり)のハズでした。
セイちゃんが歳三の後を追う話は、初めて書きました。
総司と別れ、たった一人になったセイちゃんを何が支えるのかということを考えると
こんな風な話になってしまうな…と。
ただ、
「初恋」だけに殉じて欲しくない
出来ることならもっと大人になって、自身の頭で考えて選び取って欲しい。
私がセイちゃんというキャラクターに望むのはそういうことです。
たった一人の人、一途な思い、そういったものに夢を感じるのは非常に良く判る話ですが、
人間はそれだけで生きていけるわけではなく、
また「道」を選ぶのはやはり自分自身だと思うのです。
今回の二人の間には「恋」でも「愛」でもなく、
いうなる「同志」という言葉しか思いつかない、そんな作品を書きたくなりました。
気に入って頂けると幸いです。
六花(ricca) 拝
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