副長とささいなことで大喧嘩し、頭を冷やして来いと言われてから一刻後。
部屋に呼ばれたので、しぶしぶ伺うと副長が至極真面目な顔をしていたものだから、
先程の喧嘩は度が過ぎたものだったのかしらと少し心配になった。
副長の顔は真面目なそして真剣な表情のようにもとれたし、怒っているようにもとれた。
副長室に入ったものの、副長が一言も話さないものだから、妙に居心地が悪い。
無意識のうちに畳の目をほじくってしまう。
「神谷。折り入って話がある」
低い声で切り出された言葉に、内心どきっとする。
何を言われるのだろうか。
私達にとっては日常茶飯事な喧嘩をしたぐらいで、まさか切腹をさせられるわけではないだろうし・・・・・・。
でも、何か罰を下されるのだろうか。
そんな怒るようなことは言っていないと思うのだけれど、自分は副長の前では何故だか口が達者になってしまうので、
何か線に触れるようなことを言ったのかもしれない。
「神谷清三郎」
「はい」
厳かな口調が、とても怖い。
「副長付き小姓を今月までとする。来月からは違う部署で働いてもらう」
小姓を今月までだなんて・・・・・・。そんなに、気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。
どうしよう。副長をここまで怒らせたつもりはないけれど、怒ってしまっている以上、謝らなくちゃ。
けれど、私が言葉を発する前に副長が口を開いた。
「来月からは伊東参謀のもとで小姓として働いてもらう。参謀もなかなかお忙しい身。何かと手伝いして差し上げる者が必要だろう。
そこで、お前が適任だと判断した・・・・・・が、お前は目上の者に対する口のききかた、態度がなっていないのでその状態のまま
参謀のもとで働いて、不手際を起こさないとも限らない。そこでだ、参謀が三日に一度開いている学習会に毎回参加し、来月から
参謀の小姓として立派に働けるように修行をしてこい。参謀は学がおありだから、小姓のお前も相応するものは身につけておいたほうがいい。
そういうわけだから、早速今日から開かれる学習会に参加して来い」
そこまでいうと、副長は無愛想な表情から一転して、にやりと笑った。
参謀の小姓?伊東参謀の?あの伊東参謀の?・・・・・・冗談じゃない。
「土方副長。先程は年少者にもかかわらず副長に差し出がましいことばかり申して、すみませんでした。まさか、そこまでお心を乱されるとはつゆにも思わなかったのは正直な気持ちでは御座いますが、この神谷、この通り、今は謝罪の気持ちでいっぱいでございます」
頭を畳みにすりつけて平伏する。
否、平伏ではない。土下座だ。
「もう、遅い」
「そこをどうか。この通り、この通りで御座います。神谷、今まで以上に粉骨砕身し『土方副長の』小姓としてお傍で働きたいと思います」
「神谷よ。一度、口にした言葉は決して取り消す事が出来ぬと覚えておけ」
「はい、申し訳御座いません」
ここは、頭を下げるしかない。
副長に人事配分が全権握られている事をすっかり忘れていた。
権力で来られては、成すすべもない。
「それから、一度、俺を怒らせると後が怖いということも覚えておけ」
「はい、身に染み渡りまする」
「そうか、ならばいい。・・・・・・今回の過ちを活かして、参謀のもとでは、無礼のないように」
「・・・・・・土方副長!御願いです。この通りです。何でもします。我侭も言いません。愚痴も言いません。素直ないい子になります。だから、だから・・・・・・」
「もう、決めたことだ」
その後、必死にお詫びをしてもすがりついても泣きついても、副長が首を動かす事はなかった。
※
そんなこんなで、セイは伊東が三日おきに開いている学習会の場にいる。
学習会といっても、文字の読み書きの事についてや和歌など内容は多彩で、勿論国事について伊東が話す事もある。
確かに、伊東には学がある。
以前、山南の小姓をしたときも、山南は博学だと感じたが、それとはことなる学が伊東にはある。
弁が立つとセイは思った。
話の進め方がうまい。
人を惹きつける言い方が上手なのだ。
だから、会に参加している者を飽きさせない。
面白い例え話を聞いているうちに、知らずと根本が頭に入ってくる。
土方も弁が立つが、成程、事あるごとに土方が敵対視する気持ちが分かる。
最初は伊東がいつものように寄り添ってくるのではないかとびくびくしていたのだが、
セイの姿を珍しそうに視線をやりながらも、特別扱いするわけでもなく至極普通に時が流れた。
セイは、今まであまり勉学に勤しんできた事はなく、何とか文字の読み書きは出来るものの、
句が詠めるとか、国事の動向に特別に興味を抱いているとかそういう気持ちはなかったが、
伊東の学習会を幾度か受講するうちに、幾らか関心が高まった。
そんなセイを穏やかではない気持ちでみているのがきっかけを作った当人、土方である。
最初は単なる悪戯心で喧嘩の延長線の形で伊東の学習会に参加せよとセイに命じた。
そもそも、伊東の小姓にセイをあてるつもりは毛頭ない。
毎回の学習会に嫌気が差し泣き付いて来るセイに頃合を見計らって、許してやろうと思っていたのに。
それなのに、セイは嫌がる様子は少しもなく、むしろ積極的に参加しているようだった。
学習会の刻限になると部屋を出てゆく。
これでは、当初の予定とは異なるではないか。
このままでは、セイの方から伊東の参謀になると言い出すかもしれない。
伊東も伊東で、こういうときに限ってセイに対して、不必要な抱擁等をしないものだから、ますますセイの中での伊東に対する株が上がってゆく。
一方、自分に対してはというと、未だ怒っていると感じているのか、おどおどしたようにセイは接してくる。
話しかけてもいつも俯いてばかりで、セイの口数がめっきり減ってしまった。
男女の駆け引きは、やりすぎても攻を奏さない。
ここは少し、こちらからセイに近寄ってみようか。
夜、土方はセイを腕へ寄せながら、普段は言わない甘い言葉を投げかけてみたものの、
セイは予想に反して嬉しそうな表情はせず、目を伏せてしまった。
どんなに愛しいと声を掛けても、顔を曇らせてしまう。
以前はどんなに喧嘩をしていても、最後には笑ってくれたのにそれさえも近頃はみられない。
日が経てば経つほどこじれてゆく喧嘩が、次第に修復不可能な溝になってゆくようで、土方はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
過去の女人に対する経験を駆使してあの手この手を使ってみるも、セイにはどれも通用しないのだ。
笑ってくれぬようになったセイを抱きながら、土方は焦りを感じていた。
※
「伊東先生は、とても博学なのですね。いつも学ぶ事ばかりで、本当に頭の下がる想いです」
学習会の後。
セイと伊東は廊下を歩きながら談笑していた。
傍には内海が伊東の傍についている。
その安心もあってか、セイはよく話した。
「私はまだ未熟者ではございますけれども、先生のお話はとても分かりやすく、水を飲む時のようにスーッと体に入ってきます」
「そう?そう言ってくれると嬉しいよ。清三郎は文字の読み書きができる。それだけでも大したものだよ。自分の名前さえ書けない者が、
この国には多い。自分が恵まれている事を心に思いながらも、それを活かしてゆく事が大切だと思うよ」
「はい。これからは、伊東先生のお陰で多くのことに関心が持てそうです」
「それは、嬉しい。僕も会を開いて良かったよ」
和やかな談笑を交わしていたが、突然セイが足を止める。
不思議に思い伊東が前を見るとそこには土方がいた。
「おや、土方君じゃないか!久しぶりだね。最近、土方君の顔を見ていないなぁと思っていたんだ。僕が会いに行くと照れ屋な君はいつも隠れてしまう」
「・・・・・・偶然でございましょう」
「そう?では、僕がここのところ学習会を開く度に、君の気配を廊下から感じていたのも偶然なのかなぁ」
扇で口元を隠しながら言う伊東に、土方は片眉をぴくりと動かす。
「土方君は、何と言っても隊を担う大事な『副長』の身。参謀の僕とは異なり、毎日忙しいもんね」
「・・・・・・どことなく嫌味を感じるのもこれもまた偶然でしょうか」
「うん、気のせいだと思うよ。僕の言葉にはいつも他意はない。だから、僕が君を好きだという言葉にも他意はないんだ」
ガバッと両手を広げ抱きつかんとする伊東を土方はサーと横に交わす。
「もう、つれないなぁ。でも、そんなところが、す・き」
ゾワワーっと鳥肌がたった土方に伊東はくすりと笑った。
「でも、最近清三郎とは僕の想いが通じたのか、漸く仲良しになったんだ。もう僕がこういうふうに寄っても隠れないし」
今度は伊東はセイのすぐ横にぴたりと寄り添う。
セイが少し距離を置こうとすると、肩を抱き離さない。
「ねっ、こういうことをしても嫌がらないんだ」
ガバッとセイに抱きつく伊東に、内海は溜息をつく。
セイはというと、どうにか伊東から離れたいのだが、力の差の前にどうにもならない。
そして、目の前の土方がとても怖い目で睨んでくるのが気になって仕方がない。
「はっ、はっ、はっ、それは良かったですな。伊東参謀」
「うん。あとは土方君を陥落するだけ」
「生憎、私はそのような趣味はありませんので・・・・・・」
「僕も別に趣味じゃないよ。あっ、そうだ。ここのところ思っていたんだけれどね。こうしてせっかく清三郎と仲良くなれたことだし、出来れば僕のお小姓さんに
なってほしいんだけれど、駄目かな?」
伊東の申し出に土方とセイは大きく目を見開く。
「勿論、清三郎は土方君の小姓だっていうことは分かっているんだけれどね。清三郎は飲み込みも早いし、できる子だから、是非手元に置きたいんだ」
セイは土方を見つめる。
土方もセイを見つめる。
けれど、こういうとき土方には意地をはってしまうところがある。
「成る程。そのようにお考えでしたか。その件につきましては、私の一存では決めかねますのでまた後日局長も交えて決めたいと思います」
否定しない土方にセイは俯く。
やはり、自分はもう副長の小姓には必要とされていないのだろうか。
喧嘩をしても想いが通い合っていると思っていたけれど、それは自分だけで土方の方はそう感じていなかったのだろうか。
ここのところ、毎夜腕に寄せられ甘い言葉をかけてくる土方は、怖いほど優しく、何か裏があるのではないのかと疑ってしまう。
「局長も?そっか・・・・・・。僕は、これは僕と君との間で話し合えば済む事だと思っていたんだけれど・・・・・・だって、これは君と僕との問題だもの」
ねっ?と微笑みかける伊東から反射的に土方はいまだ伊東に後ろから抱きつかれたままだったセイを離した。
深呼吸し、
「確かに。私とあなたとの問題かもしれませんな。ならば、その件につきましては承諾しかねます。すみませんが、御了承の程を・・・・・・」
くるりと背を向けて去ってゆく土方にセイは、伊東と内海に一礼するとついていった。
※
部屋に入っても、土方は何も言わなかった。
約束の日は明日。
今日が月の終わりなのだ。
そして、副長の小姓も本日付けでおしまいになる。
けれど、先程の土方の言葉は・・・・・・。
「副長・・・・・・。あの・・・・・・私、来月も副長の小姓ですか」
セイがおずおずと切り出すと、土方があぁもうと頭をくしゃくしゃと掻く。
「あぁ。お前の好きにすればいい。伊東のもとがいいのなら、奴のもとへいけばいい」
なんで、こういう言い方しかできないのだろうといつも思う。
「ならば・・・・・・」
セイはぴたっと三つ指をつく。
「土方副長。今日まで色々と至らぬ私に色々とご教授してくださり、どうも有り難う御座いました」
頭を下げるセイに土方は冷や汗が流れる。
まさか、本当に伊東のもとへ行くのか?
セイはしばらく沈黙する。
少し頭を上げると土方が心配そうに自分を見ていた。
こんな表情ははじめて見た。
俯いたまま少し笑んで、
「それでは、この経験を活かし、また来週からも頑張りたいと思いますので、どうぞ宜しく御願い致します」
にこり。
それは、久しぶりにみるセイの笑顔だった。
「仲直りしましょう」
というセイに土方は軽く口付けをした。
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