「旦那様、旦那様、朝ですよ」
のぼりかけた朝日が部屋にうっすらとさしこむ。
目は当に覚めているのだが、ゆっさゆっさと揺られる感覚が気持ちよく、寝たふりをするのは朝の日課である。
「旦那様、旦那様ってば」
女は困り顔で先程よりも力を込めて揺するが、依然男に起きる気配はない。
「旦那様・・・・・・御願いだから起きて・・・・・・」
窮する声にそろそろ目を開けてやろうか、いやいや、まだ寝たふりをしていようか男は女に気付かれぬよう口角を軽くあげて思案する。
「旦那様、・・・・・っもう、土方副長・・・・・・鬼副長・・・・・・お仕事に遅れますってば・・・・・・」
少し目を開けてみると、今にも泣きそうな女の顔がぼやけて映った。
もう、頃合だろうか。
揺さぶる力も増してきている。
「・・・・・・あっ、あんなところに伊東先生が」
ガバッ!
反射的に起き上がり、辺りをキョロキョロと見渡す。
落ち着いた自分の視界に入ってきたのは裾を口元に当てて笑っている愛しい恋女房。
「てめぇ、たばかりやがったな、セイ」
「だって、こうでもしないと旦那様起きないんだもの」
・・・・・・お前が起きる前から目は覚めていると反論しそうになるが、ぐっと心にとどめておく。
嫁に起されるという朝の楽しみが減ってしまうからだ。
「ほら、早く起きて下さい。朝ごはん出来ていますから」
女の髪は短い。
両側から頭頂部を覆うようにして漸く以前まであった月代が隠れる程度である。
その髪は実に痛々しい。
さらさらと手触りのよい髪を一筋手に取り、口につける。
女はされるがままに身を寄せていた。
「この朝餉の匂いから察するに今日は焼き魚があるな」
男は女を手放し、立ち上がった。
「えぇ、あたりです。旦那様」
「さぁ、いつまでも寝巻きを着ていないで、お手伝いしますから早くお着替えになって下さい」
朝日よりも眩しい笑顔を向けられた。
※
「セイ」
「はい」
食事中の会話はそう多くない。
「セイ」
この一言で、用が済むからだ。
「セイ」
「はい、お醤油」
「セイ」
「はい、御飯のおかわりですね」
「セイ」
「はい、只今お茶を淹れます」
「・・・・・・セイ」
「あら、味が薄すぎましたか。すみません。京風の味に慣れてしまったものですから」
食事中、セイはこまごまと土方が食べやすいように世話をする。
夫婦となって日が浅い二人ではあるが、はたからみればまるで熟年夫婦のようであった。
※
「じゃぁ、行ってくる」
土方が下駄を履き終わるのに合わせて、セイは慣れた仕草で黒羽織りを後ろからかける。
「手ぬぐいは持ちましたか」
「あぁ」
「懐紙は持ちましたか」
「ここに」
「発句帖は忘れていませんか」
「あぁ、いつも懐に・・・・・・って、関係ねぇじゃねぇか」
真っ赤な顔をして手を振り上げる男に女は悪戯っ子のような表情をしペロリと舌を出した。
幼子のような仕草をするセイの腕を引っ張りやや強引に口付ける。
「女(妻)が男(夫)をからかうもんじゃねぇ」
突然の行為に目を見開くセイにからかった罰だとでも言うように土方はフンと鼻を鳴らした。
「私、ちょっと前まで男でしたけれど」
己の月代があった場所を指差すセイに
「変わってねぇな、その生意気さは」
と土方は軽く叩いた。
「そうそう、やっぱり鬼副長はそうでなきゃ。・・・・・・いってらっしゃいませ」
三つ指をついて頭を下げるセイ。
「おい、腹の子に障る。かがまなくていい。いつもそう言っているだろうが」
土方はセイを立たせる。
セイのお腹の中には土方との第一子が順調に育っていた。
やや大きくなったセイのお腹に耳をあてしばらく胎動を聞く土方。
「旦那様、遅れますよ」
セイの苦笑が混じった声で漸く土方は身体を離した。
「・・・・・・今日は帰りがちーっとばかし遅くなるやもしれん」
「どうかお気をつけて。誰かに後をつけられて狙われているということが無きよう・・・・・・」
セイは頭を下げて見送った。
※
昼間の家はガランとしており、小さな音でも良く響く。
セイは手馴れた様子で部屋を隅々まで掃除していった。
少し日が傾きかけた頃を見計らって打ち水をすると、涼が得られる。
縁側で風鈴が奏でる音色にしばし耳を貸す。
しばらくそうしていたのだが、急に何かを思い立ったようにセイは動き出した。
「いっけない、明日会合があるって言ってったけ。着物の押し、し直さなくちゃ」
パタパタと部屋に戻り、土方の行李から着物を取り出す。
自分には大きすぎるその着物。
それが自分に安心感を与ええくれる。
着物を綺麗にたたみ直し、袖をそろえる。
その時何かがセイの手に触れた。
首をかしげ袖に手を入れると、中から出てきたのは小さな結び文。
見てはいけないと自分で自分を嗜めながらも好奇心には勝てず、丁寧に開いた。
そこに書かれている文字を見ると、セイは何事もなかったかのように折り目どおりに結ぶ文を元の形にした。
※
「おい、今帰った」
珍しく酒でも飲んでいるのか、ややいつもより高めの声。
足を洗う桶を用意してセイは出迎えた。
「お帰りなさいませ」
土方の傍にかがみこんで、足を洗う。
「いい、自分でやる。お前はかがむな。腹の子に障るだろうが」
セイから布巾をとりあげ、足を洗う。
「大分帰りが遅かったですけれど、お仕事の方がお忙しかったのですか」
「・・・・・・まぁな」
「どんなことでお忙しいのです?」
「・・・・・・隊を抜けたお前には関係のないことだ」
「それは、良く存じていますけれども・・・・・・。何か悩みごとがあったら何でも話してくださいね。旦那様はいつも一人で抱えておられる」
「あぁ、だがお前の顔を見るとほっとする。疲れが取れるようだ」
「まぁ、お上手を。そのようなこと、他の女子にもその同じ口で言いふらしているのではないですか」
「旦那の言葉を信じられねぇのか」
「信じたいのは山々ですけれど、確証が持てません」
「なら、俺が他の女にうつつを抜かしているという確証もないだろうが」
土方は部屋へ行こうとする。
セイは桶に入った水を片付けて土方のもとへ向かった。
※
土方が部屋に戻ると、温かい夜食と一緒に一枚の小さな結び文が用意されていた。
見覚えのあるその文に思わず土方の口元が引きつる。
「残念ながら、旦那様が他の人にうつつを抜かしているという確証ならあるんですよ、こちらに」
涼しげな笑顔で言われて土方の背中に嫌な汗が流れた。
「おあいさんって、どなたです?」
そこに座ってくださいと冷たく言われ、土方はしぶしぶ腰を下ろす。
「いや、だからな、おあいっていうのは、ほらあれだ。だから、その・・・・・・」
「隣町の美人で評判の団子屋の看板娘ですね」
違いますか?
セイはにこりと微笑む。
「一月前程、沖田先生にせがまれて団子屋へ行った際にでも見初めましたか」
やや乱暴に汁茶碗に味噌汁を注ぎ、手渡しながらセイは尋ねる。
「そうそう、二十日ほど前には島原の月太夫と逢瀬したそうで。ほら、丁度旦那様が止むに止まれぬ仕事があってこちらに帰ってこられなかった日です」
・・・・・・お味噌汁、そうやって手に持ったままだと冷めますから食べて下さいと付け加える。
何かを押し込むように口にするも味など感じるはずもない。
「十日前にご帰宅が遅かったのは、武家の後家さんのところへ遊びにいっていたからだと推測しますが。その時怪我して帰ってきたのは、家の人に見つかって、一騒動になったからですって?」
真っ直ぐと射抜くような視線で次々と明かされてゆく己の失態。
普段口達者な土方だが、現状を打破する言葉は何一つ出てこなかった。
「三日前には、今度は祇園の方に行かれたそうで。楽しかったですか?」
言い募るセイの表情は変わらない。
「そして、今日、遅くなったのは、蕎麦屋の奥さんを口説いていたから・・・・・・、私が言っている事に何か間違いはありますか?」
「頼むから怒っているのなら怒鳴ってくれ。そうやって、笑顔で静かに言われるとなかなか恐いものがある」
「あらっ、じゃぁ身に覚えがあるのですね」
ズイッとセイが身を乗り出してくるのに合わせて、土方が腰で後ずさりをする。
「どっ、どうやって、そこまで・・・・・・。」
「だから、申したではありませんか。貴方が朝『今日、帰りが遅くなる』と言う日には必ず『どうかお気をつけて。誰かに後をつけられて狙われているということが無きよう・・・・・・』と」
ハッと土方は今朝を思い出してみる。
確かにそのようなことを言われた気がする。
「じゃ、何か。お前、俺をずっとつけていたのか?」
「まさか、そんなこと出来るわけないじゃありませんか。身重の私に。監察方の方々に御協力を頂きました」
「はぁ?」
「私が隊を脱走し未だ見つからないと隊内ではそういう認識でいるそうですが、監察の方には、旦那様、事情をお話になられたでしょ。
貴方が屯所にいる間の私の身の安全を心配して。その心遣いはとても嬉しかったのですが、今回このようにそれが裏目に出るとは・・・・・・」
いやはや、残念ですとセイは大げさにため息をついた。
「『浮気は男の甲斐性』『英雄色好む』・・・・・・まぁ、色々とありますが、別に私は何とも思っていないんですよ。ただ、お腹の中にいる子にはきちんと説明をしてもらわないと。貴方は男の子を望まれていますけれど、男の子は男親の背中を見て育つと申します。男親としてしっかりこの子に説明して下さい。あなた自身の行いを」
セイは大事そうに腹部を撫でる。
「男は諦めが肝心と申します。色々と詳しくお聞かせ願いますね」
今朝と同じように日の光よりも眩しい笑顔を向けられ、今朝とは別の意味で眩しすぎて土方は視線を合わすことすらできなかった。
搾り出すように出されたかすれた第一声は次の言葉だった。
「・・・・・・・・・・このとおり、すまなかった。」
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