皆が寝静まっている夏の夜。
真っ暗な闇の中、ほんのりと灯りが漏れている建物があった。
文武館である。
竹刀と竹刀が触れ合う音よりも、竹刀と防具とが触れ合う音の方が多かった。
※
「これで、おしめぇか」
竹刀を肩たたきをするように持ち上げた男にセイは睨み付ける。
「おっ、眼光だけはいっぱしじゃねぇか」
グググっと身体を起こし、正眼の構えをとるセイ。
「所詮、童は童だったということか」
フフンと人を見下すような視線に、セイの手に力が入る。
「・・・・・・童、童って。うるさ〜い!!」
掛け声とともに、土方に向かって一撃を繰り出すも何なくかわされ胴を打たれる。
体のあらゆるところを狙ってくる総司とは異なり、土方は胴しか狙わない。
総司の小手を受けると手がしびれてしばらくは使い物にならないほどだが、土方の場合は胴をさほど強くは打っていないようだった。
それは、セイの正体を知っている土方なりの優しさかもしれぬが、逆にそれはまだまだ土方とは真剣に向かい合う位置にまで達していないということを意味していた。
セイはそれが理解出来るだけに悔しくてたまらない。
「だから、言っただろ?突撃してきたってお前は力がねぇし、身体も軽い。童なんだ。童が大人と相撲とっても跳ね返されて尻餅つくだろうが。それと同じ理屈だ」
肩で大きく息をしているセイに土方は諭すように言う。
「それを昨日俺に言われたお前は考えた。『よし、跳ね返えされねぇだけの力で望めば勝機がみれると』。そうすると自然大きく振り上げる形になる。だが、それは絶好の隙だ。実戦なら、ばっさり斬られておしめぇだな。痛みも感じる暇なくあの世にいけるぞ。まぁ、所詮童の浅知恵だな」
カッカッカと大笑いする目前の男にこの上もなく怒りを感じるが、言われている事は確かである。
反論の余地がない。
「ついでに言うとだな。お前は気を散らしすぎる。童と言われただけでムキになってどうする。相手に煽られて激昂するようじゃぁ、まんまと手のひらで転がされているだろうが」
総司との訓練は、どちらかというと身体で覚えるものだ。
頭で考えるより、反射的に手が出るような訓練。
悔しい事に総司は目を瞑っていてもセイの太刀筋を見極め一本もとらせない。
目に頼らず、頭に頼らず、気と勘で体が動いているのだ。
どうしたら、総司のようになれるのだろうか。
その想いを胸に試練を重ねてきた。
だが、こうして土方相手に訓練してよく分かった。
自分はそれ以前の問題なのだと。
基本がまだ身についていないのだと。
「俺の小姓にして正解だったな。こんなんでよく一番隊にいたもんだ。その分、隊長がかばっていたんだろ」
ふぅとため息をこぼす。
総司と言わず、「隊長」と言う言葉を使ったのは、土方の他愛もない意地というより嫉妬だった。
セイを女子だと知り、流石に一番隊はまずかろうと自分の小姓にしたのは、つい一月ほど前の事。
セイは言った。
「どうかここから追い出さないで下さい。天涯孤独の私にはもう何処にも行く所がありません。もし、この我侭な願いが聞き届けられぬのなら、隊規に照らし合わせて、切腹を命じてくださいませ。それならば、兄のもとへ逝くことができます」
・・・・・・私は、存外寂しがり屋なのです。一人で生きていくことは到底できません。
そう、静かにセイは平伏した。
そして、小姓を命ずるとセイは嬉しそうに笑った。
「誠を背負って死ぬのならば、恐くありません」と。
セイは己の腕を磨く事に以前にも増して積極的になった。
土方に暇な時でいいから、稽古をつけてくれるよう頼んだものセイの方からである。
「どんなに憎たらしい上司でも、今は副長が私の直属の上司。上司を守れるぐらいの腕は小姓として当然求められるものですから」
そうして、夜二人だけの特訓が始まったのだ。
剣は持ち主の性格に似ている。
土方の剣は癖がある。
というよりは、形にはまらない動きをする。
一方、セイの剣は形通りの素直な剣だった。
負けが込むとがむしゃらに剣を打ち出してくる。
漸く息が落ち着いたセイが竹刀を杖かわりにゆらりと立ち上がった。
気力はみなぎっていたが、それに体力がついていっていない。
無理はかえって、逆効果を生み出す。
「今日は、もう終わりだ」
「私、まだまだいけます。もう一本御願いいたします」
足元がおぼつかないセイを土方は気付かれぬようそっと笑んだ。
「・・・・・・俺が疲れたんだ。明日、早朝黒谷へ行かなきゃならねぇんだぜ」
今の今まで一つも息を切らしていなかった土方は大げさにため息をついた。
「ごっ、ごめんなさい。御指南、どうも有難うございました。また次も宜しく御願いいたします」
セイは慌てて平伏する。
どんなに憎まれ口を叩いても、礼儀は貫く。
そこに可愛げを感じる。
「では、先に副長室に戻って、お布団を敷いてまいります」
最後に深く一礼をすると、セイはトタトタと部屋に戻っていった。
※
竹刀を片付けようとした土方だが、その動きがふと止まる。
「いるんだろ?」
誰もいない文武館に響く低い声。
しばらくすると、一人の男が入ってきた。
「趣味が悪いぜ、新八。いつからいた」
背で語りかける土方に
「お前さんが、気が付いた時から」
と飄々とした答えが返ったきた。
「何か用か?」
「いや、水を飲みに起きたら、竹刀の音が聞こえてきたから寄っただけだ」
「ほう・・・・・・」
「お前さんが竹刀を振るった所、久方ぶりにみたなぁ。癖のある太刀筋ちっとも変わってねぇ」
「それはそれは、神道無念流皆伝様」
「よせやい。そんな意味で言ったんじゃねぇ。ただ懐かしかっただけさ。最近稽古場にあんたの姿見ねぇからな」
隊士達が周りにいない今は、「副長」「二番隊隊長」は要らない。
多摩の頃に自然と戻る。
これが自然と戻らなくなった時、二人の間に亀裂が生じるのであるが、これはまた後の話である。
「神谷はいい筋してやがる」
「・・・・・・新八。おめぇの目は節穴か?」
「馬鹿言え。他の平隊士の腕がどんなもんか知ってるか?」
寄せ集めの新選組。
腕が立つものを集めたつもりではいたが、竹刀稽古が上手すなわち、実戦で働けるとはいかないということは百も承知。
上で指示する土方には今ひとつ隊士達の現状が掴みきれていなかった。
「神谷は、実戦では使えるぞ。池田屋のときで一皮むけたみたいだ」
「買い被りじゃねぇのか」
そういう土方に永倉は苦笑した。
この男はそうだと認めてもなかなか口に出来ない男なのである。
「それはそうと、鬼にしては随分と優しい手ほどきじゃねぇか」
永倉は竹刀を土方の手から取り、ヒュンと一振りする。
「胴だけ。しかも力入れてねぇだろ?流石の鬼も美少年の面には打ち込めねぇってか。まぁ、神谷相手じゃ仕方あるめぇ」
竹刀は再び、永倉の手の中で鳴った。
「・・・・・どういう意味だ?」
片眉をピクンとあげる土方に、永倉はにやっと笑った。
「それは、お前さんがよく知っているんじゃねぇのか」
「・・・・・・新八・・・・・・。まさか、お前・・・・・・」
「・・・・・・っと、そこから先は言っちゃいけねぇ。秘密は少人数の方が守りやすい
驚愕した眼差しで己を見つめてくる土方に永倉は竹刀を手渡す。
「俺は何も知らねぇし、何も聞いてねぇ。・・・・・・そういうこった」
竹刀を受け取った土方は永倉から距離を取り、間合いの一歩外から突きを出した。永倉に向かって。
永倉の身体の両脇に風がヒュンと抜けてゆく。
「おいおい、秘密を知っている俺を殺す気か?お前さんに突きは似合わねぇ。鬼は鬼らしくばっさばっさと斬り伏せるのがお似合いだぜ」
にやりとした永倉に土方もにやりと返す。
互いに言葉を交わさなくても通ずる関係なのだ。
「早く、行けよ。可愛いお小姓さんが布団を敷いて待ってるぜ、色男さん」
茶化す永倉に土方の竹刀が飛んでくる。
「わっ、とっ、おっ、危ねぇじゃねぇか」
永倉は、竹刀掛けから素早く一本取り出す。
「『相手に煽られて激昂するようじゃぁ、まんまと手のひらで転がされている』じゃなかったか?土方先生?」
神谷に言える立場じゃねぇなと笑う永倉に竹刀が飛んでくる。
「土方さん、たまには俺と立ち会おうぜ。俺はあんたの剣が好きだ。そのひねくれたところがな」
呵呵大笑する永倉に容赦なく竹刀が振り落とされたのは言うまでもない。
その日、文武館の灯りが消えることは無かった。
※
(おまけ)
「副長、土方副長、遅刻しますよ」
ゆっさゆっさとセイに起される土方。
「今日、黒谷へ行かれるんでしょ?近藤局長はもう用意されていますよ」
昨夜遅くまでし合った土方は眠くて仕方がない。
だが、妙にすっきりした気持ちで迎える朝だった。
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