梅の香りはお前の香り
春の訪れを知らせる梅の香りを俺はいつでも待っている
梅の香りはお前の香り
お前の訪れを知らせる梅の香りを俺はいつでも待っている
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夜の帳は男女の帳。
月夜を愛でつつ、互いの仲を深め合う。
一夜の夢を得るために男は女を抱く。
一夜の夢を見せるために女は男を手招く。
一人の男に多くの妓が群がっていた。
男はまんざらでもない顔をしつつ、一人一人女の手を取りくどき文句を口にする。
はたから見れば、歯の浮くような台詞でも、この男が言うと絵になるから不思議なものだ。
男は女の顔をくいっと上げる。
「名は」
「小雪と申します」
名の通り、雪のように白い肌だ。
京女は江戸に比べると色白で、頼りなさげなところがまた良い。
「小雪とやら、お前はどんな雪を俺に降らしてくれる」
「歳三はんのお望みのままに」
「京の冬は寒い。梅香る春が待ち遠しい」
「ならば、名残雪を降らせましょう」
「名残雪か・・・・・・」
「えぇ、歳三はんとうちとの名残雪。人は逢うたら、別れます。朝日が昇るまで別れを惜しんで名残雪を降らせましょう」
いつの間にか、周りの女は姿を消していた。
土方が小雪しか目に入れてないのが分かったからだ。
「俺に名残雪を見せてくれ」
「・・・・・・はい」
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白く細い首筋。
折れてしまいそうな手首。
片手で抱いても余る柳腰。
小雪を抱きながら別の女を自分は腕に寄せていた。
最後まで泣きながら抗議していた女を。
先日隊を抜け出させた女を。
生かすくらいなら切腹を言い渡してくれと。
生かすくらいなら殺してくれと。
刀を首にあてた女は最後まで死を望んでいた。
大刀を取り上げれば小刀で、小刀を取り上げれば小柄で、小柄を取り上げれば舌を噛み切ってしまいそうだった。
死ぬことは許さぬとしか言えない自分が情けなかった。
泣いて、泣いて、泣くだけ泣いた女は、次の日土方が目を覚ましたときには露と消えていた。
あれから、もう幾日経ったのだろう。
「小雪」
「はい」
「名残雪は何故降るのだろうか」
「忘れて欲しくないからやないやろか。春が来たら梅が香り、桜が咲き皆暖かさを喜ぶ。
でもそれは、冬の寒さがあったからではの喜び。人はとかく目の前のことに左右しがちやから、それを雪はそっと教えとるんやないやろうか」
「流石京の女は情緒も豊かだ」
小雪は照れたのか頭を何回も横に振った。
「そんなことあらしまへん。ただうち思うんや。幸せそうに見えとるんはほんまに幸せなんやろうか。不幸せそうに見えとるんはほんまに不幸せなんやろうかと」
土方は小雪を抱きすくめる。
「お前も苦労してるんだな」
つい口から出た言葉に土方は眉をしかめた。
遊女に対して言うにはあまりにも野暮であまりにも悲しい言葉だったからだ。
しかし、それを気にした風でもなく小雪は笑みを一つこぼした。
「土方はんの名残雪はもう止みましたか」
「・・・・・・いや、一生止みそうにない」
あの夜、最後の夜、土方はセイを抱いた。
生きる望みを与えたかった。
自分一人の命ではないということを伝えたかった。
抵抗らしい抵抗もせず、なすがままに女は男の行為を受け入れた。
何も映さぬ暗闇の瞳は最後まで自分を映すことはなかった。
それでも、自分はお前を必要としているのだということを分かって欲しかった。
セイの気持ちが落ち着いたら、今後の身の振り方について考えようと思っていたのに。
セイさえ承諾してくれれば、自分の休息所に住まってもらおうと思っていたのに。
朝日が部屋に差し込む頃には、まるでそれこそ一夜の夢のように跡形も無かった。
ただ残されたのは、かすかに鼻をくすぐる梅の香。
セイの衣に焚き染められていたその香りだけが、夢ではなかったことを証明していた。
「小雪。俺にもう一度、名残雪を降らせてくれ」
小雪はつけたばかりの行灯の火に息を吹きかけた。
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早朝、土方は今だ明けきらぬ京の町を一人歩く。
あの後、何度も自分に名残雪を降らせてくれた小雪はただ黙って見送ってくれた。
セイが女子であることが分かったのは随分前のことだった。
あの時も、脱隊を勧める自分にセイからは泣きながら切腹させてくれと訴えられ、結局あの場は土方の小姓となることで落ち着いたのだが、それからのこの間までの期間、お互いにわりない仲となり、人目をはばかっては秘め事を繰り返してきた。
二人だけの秘密がどうして露見したのかは分からない。
セイが女子であることが隊内に広まった以上、土方としてもこれ以上セイを引き止めておくことが難しくなった。
最後の夜、何度も何度も「頼むから死ぬな。命を絶つな。生きる事を考えてくれ」といった自分の言葉を果たして今も守ってくれているだろうか。
土方はふと目の前の木を見上げた。
今だ蕾みすらついていない梅の木は、数日前に降った雪をかぶっていた。
「セイ」
気付いたら、想いが口に出ていた。
もう一人の自分が女々しいと叱咤するも、抑えられなかった。
しばらく梅の木を眺めていただろうか。梅の香りが鼻に届いたように感じた。
幻だろうか。
そろそろ、日が昇る。
土方は名残惜しそうに梅を見上げていたが、数回頭を振ると視線を元に戻した。
霧で視界が悪い。
しばらく足を進めた土方だが、はっとその歩みを止めた。
紫色の被り物をして俯いた女が向こう岸にいたのだ。
先程までの自分と同じように梅の木の下に佇んでいた。
女は土方の視線に気付くと急ぎ踵を返した。
・・・・・・・梅の香りを残して・・・・・・・。
土方は無我夢中で対岸に渡り、走り去る女の腕をつかんだ。
懐かしい梅の香りが、待ち望んでいた梅の香りが、土方に届く。
「もう、これ以上俺を困らせるな」
女は男の腕から離れようとするも力の差の前にあえなく失敗に終わる。
「俺のために生きてくれ」
男と女の頭上では梅が春の訪れを待ちわびるかのように、覆われていた雪を振り落とした。
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