貴女はとても驚いた表情をした。
大きな瞳をますます見開いて。
そして、緊張の面持ちを見せた。
両手を胸の前で合わせ、まばたきもせず、じっとこちらを見てきた。
小さな口が震えているようだった。
その様子が今にも泣き出しそうに見えた。
「神谷さん」
再度ゆっくりと呼びかけてみる。
「はい」
以前と変わらぬよく透き通ったその声。
貴女は何に緊張しているのか、私の前で立ちつくしている。
「神谷さん、私、部屋に入っても良いですか」
「・・・・・・?」
「貴女がそこにいたままでは、私はずっと廊下にいなければなりません」
「すっ、すみません!」
慌てる貴女。
変わっていませんね、そういうところ。
「あっ、あのっ、土方副長は今客間でお話なされていまして。まだこちらには戻ってこられないご様子で・・・・・・」
「・・・・・・あの人も大変ですね」
・・・・・・土方さんがいないのは知っていますよ。
だからこそ、『今』ここに来たのですから。
「御用がおありでしたら、私でよければ承りますが・・・・・・」
お茶を差し出さす貴女。
・・・・・・何か、すっかり『土方さん』のお小姓さんになってしまいましたね。
「いいえ、土方さんには特に用は無いですよ。用があるのは貴女です」
「えっ」
「だから、こう呼びかけたでしょ?『神谷さん』と・・・・・・」
※
気がつけば、空が赤く染まっている。
長かった話し合いが終焉に近づき、土方はやれやれと思っていた。
確かに、セイがいい顔をしなかったのも頷ける。
相手は始終嫌味で高飛車な態度だった。
笑みは向けているものの、どこか見下すような視線と話し口調。
腹立たしいことこの上ない。
「では、そういうことさかい」
奉行所の役人が帰り支度を始める。
土方の心に今の今まで押さえ込んでいた悪戯心という名の復讐にも似た気持ちががたちのぼった。
「佐藤殿」
立ち上がろうとした男を引き止める。
男はしぶしぶ上げた腰を下ろした。
「なんでっしゃろ」
「今日は御多忙な中、わざわざこちらにまでお越し頂きまして、御足労を煩わせました。近藤に成り代わりお礼とお詫びを申し上げます」
「そないなこと、今更何を言われるのやら。これも務めですさかい」
「しかし、佐藤殿。失礼ながらお話を伺う限り、佐藤殿はその務め以外の用件でもこちらに足を運ばれたのではと推測するのですが」
「・・・・・・はて、何のことでっしゃろ」
佐藤はやや寂しい頭を一撫でする。
「私、佐藤殿とは本日初めてお目にかかったのですが、佐藤殿の方は随分と我が新選組を御存知な御様子。お話の間に時折ちりばめられた我が組に対するお叱りのお言葉、この土方、恥じる思いで受け止めました。是非、これを機に我が新選組に対するご批評をお聞きかせ願いたいと思いまして」
丁度、側を通りかかった平隊士に茶を持って来るよう命じる。
佐藤は内心舌打ちをした。
用件が済み次第さっさと帰ろうと思っていたのに、茶を出されては礼儀上それもままならない。
話自体終わったというのに、この土方は一体何を言わんとしている。
人懐っこい笑みを佐藤は顔に貼り付けた。
「うち、そないなこと言いましたやろうか」
「はい」
先程までとは異なり、底光りするような土方の鋭い視線。
何とも言えぬ威圧感が身を襲う。
扇子を取り出し、妙に火照る己の体を扇いだ。
「ははは。土方はん。もしかしてあの言葉を勘違いされとるのではないやろか」
「あの言葉とは、どの言葉のことでしょう。あまりにも多くのお叱りを受けましたので、失礼ながらどの件につきましてか見当つきかねまする」
土方の丁寧な物言いが癪に障って仕方が無い。
「だから、ほれ、あれや。『あないな可愛らしいおぼこのような顔立ちをした者まで新選組におるとは、余程お忙しいのですな』と最初の方に申した言葉や」
「あぁ、確かにその様な事を仰せになられましたね」
「あの時、土方はんのその惚れ惚れするほど整った顔が一瞬ゆがみましたんでな、何かうちえらいこと言うたかいなとずっと思うとりましたんや。勘違いされとると困るさかい申すが、あの言葉に裏はありまへんのえ、土方はん」
廊下から声が掛かった。
お茶と茶菓子が並べられる。
土方は佐藤にそれらをすすめた。
「実は、あの者は私の小姓を務めておりまして。まだ前髪の若者故、何か佐藤殿に失礼なことをしたのではと気が病んだのでございます」
佐藤が茶を飲むのを見届けてから、土方も湯飲みを手にした。
「失礼などとんでもあらへん。とてもしっかりしたええ若者やった。元服前の者までおるとは思わんかったさかい、些か驚いたが、流石土方殿のお小姓。主に似て優秀な若者どすな」
「過分なお言葉、恐れ入ります」
「あのような若者が新選組におるとは、あなた方の今後の働きが一層楽しみやと思うんと同時に、さすが京でその名を馳せる新選組だけあって、若者からの入隊希望者もおってお忙しそうやとただ素直にそう思ったんや」
「あれは、剣技の方はまだまだ不十分なところがありますが、武士としての心構えや慎みと謙虚の心持は、十二分にありましてな。その心根を評して、入隊を許可したのです。きっと、育ちの良さが影響しているのでしょう」
「ほう、失礼ながらどこの出でなんやろうか」
やや挑戦的ともいえる声色で尋ねる。
「はい、江戸府内直参の臣の次男坊で、容姿に似合わずなかなかの心根の持ち主でして」
「江戸の直参?」
「はい」
「何故、そないな者が・・・・・・」
畳み掛けるように問い返したものの、すぐに扇子を口にやり語尾を濁した佐藤に土方は憎らしいほどの笑みを向ける。
「何故、そのような者が『こんな新選組に』ですか」
「あぁ、いや・・・・・・」
「まぁ、彼にも色々事情がありましてね。ともかく、よく働いてくれますよ。この間も会津の容保様の所へ私の代わりに行ってくれました」
「黒谷の藩主様にお目通りを」
「しかし、そのようなことに驕ることなく若者は若者らしく年長を敬い慎み深く私に仕えてくれます」
まぁ、大方嘘はついていないだろう。
セイがそのような身分であったのは事実だし、実際この間黒谷まで文を届けさせた。
自分は、『容保様の所へ代わりに行ってくれた』と言っただけであり、『お目通りが許された』とは言っていない。佐藤が勝手に勘違いしたのである。
「私は大した能も無いのに、肩書きをかざす人間が好きではなくてね。最もこれは、もともと武士ではない私のひねくれた考えかもしれませんが」
佐藤は乾いた喉を茶で潤す。
風向きが変わっていることを佐藤は遅まきながら気がついた。
「ところで、佐藤殿は京のお生まれですか」
「千年王城と呼ばれる京に住まう人は皆、古代より玉をお守りしてきただけあって、真に慎み深い。江戸では胸の内はそのまま言葉に表すのですが、京の方はそれとなく言の葉に己の心持を乗せる」
「はぁ、そうでっしゃろうか」
「はははっ、佐藤殿がそうであられたではないですか。『郷に入りては郷に従え』とあるが、江戸の出の私はどうも京の方の真似はできそうにない。しかし、言いたい事をはっきり言うというのは気持ちがすっきりするものです。ところで、どうです、佐藤殿。佐藤殿も、今この場では江戸流になられては」
「・・・・・・」
「どうぞ、ご遠慮なさらずに。佐藤殿は今日多くのことを副長であるこの私にご忠告下された。これを真摯に受け止め、局長と話し合い、明日にでもその旨を容保様にお話しましょう」
佐藤は思わず顔を上げた。
そこにはにこやかな笑みを浮かべた土方の姿。
「我が新選組は、容保様がおかかえになられているもの。また、恐れ多くもこの名は天子様から賜ったもの。新選組の失態を主にお伝えするのも、副長である土方の仕事の一つです。町の民からならばともかく、奉行所の佐藤殿からのご意見ですから」
「そっそんな大事にしなくても・・・・・・」
「いいえ、これは大事なことです。我々が京の方々から良く思われていないのは、重々承知しています。京を守る新選組は本来ならばもっと好意的な眼差しを受けても良い、だが、現実はその逆だ。我々に落ち度があるからそうなるのでしょう。これは、組を束ねる位置に座している副長の私の責任ともいえる。佐藤殿がおっしゃられたように改善すべき点は多々あるでしょう。ご存知ですか、先の京に大火が生じた時、『大火に乗じて六角獄舎で勤皇の志士を惨殺したのは壬生狼だ』との流言が蔓延ったことを。全く事実無根の事を言い並べて、あの時はほとほと困りました。そうそう、あの時からですよ。容保様に我々の失態も恥ずかしながらもお伝えするようにしたのは」
・・・にやり。
まさにそんな表現が似合う土方の面差し。
滝川奉行の失態を聞かされては、同じ奉行の役についている佐藤はぐうの音も出ない。
相手が近藤ならばこのような展開にはならなかったであろう。
気の済むまで近藤を困らせ、嬉々として帰途についていたはずである。
近藤が不在で土方を相手にしたことが、佐藤の運の尽きだった。
佐藤は今更ながら土方に喧嘩を売ったことをひどく後悔した。
そんな佐藤をちらりとみて、土方は口を開いた。
「佐藤殿。真に本日は御多忙な中、わざわざこちらにまでお越し頂きまして、御足労を煩わせました」
※
「甘味めぐり!?」
セイの声が副長室に響き渡る。
「そうです。久しぶりに行きませんか?・・・・・・って、何でそんなに肩を落としているんです?」
がっくりと体勢を崩したセイは、呆れた眼差しで見上げた。
「だって、それこそ久しぶりに沖田先生が副長室にいらして、副長ではなく私に用があると言われて、一体何の用だろうか、また隊を出なさいとか言われるんだろうかと気を張り詰めたところでこれだもの。脱力もしたくなります」
「そう言われても、私は真剣なんですよ」
「真剣?」
「そうですよ、神谷さんがお小姓さんになってからというもの、趣味と実益を兼ねた甘味めぐりが気乗りしなくて。食べても美味しさを感じないんですよ。
そんなのものすごく悲しいことじゃないですか」
「・・・・・・それで、この間斎藤先生をお連れしたんですね」
「何で、知っているんです?」
「先日、斎藤先生に胃薬はないかと聞かれましたから。斎藤先生って、原田先生みたいに食べ過ぎることはないし、お酒は飲まれるけれども、きちんと自己管理なさっているし、かといって、悩み事で胃を悪くしたというふうでもなかったし。他に、考えられることといったら、同室である沖田先生の甘味めぐりに無理矢理尽きあわされて胃を悪くしたということしかないじゃないですか。それでカマかけてみたんですけれども、やっぱり兄上を困らせていたのは沖田先生だったんですね。」
「斎藤さん同意のもとでしたよ」
焦った口調で総司は言い返す。
「兄上はお優しい方ですから、断るに断れなかったんですよ」
「だって、斎藤さんあの後、別に変わったところなかったですよ」
「それは、沖田先生の事を気遣われたんでしょ。兄上は本当にお優しい方ですね」
「・・・・・・神谷さんの意地悪。斎藤さんの肩ばかり持って・・・・・・」
「当然です。私はいつでも兄上の味方ですから」
セイは背をのけぞらせて、鼻息を荒くして言った。
総司は泣きまねをするがセイは取り合わない。
しばらくそのままの膠着状態が続き、セイは小さなため息をついた。
久々に愛しい人に逢ってこのまま喧嘩するのも嫌だし、畳でのの字を書いていじいじしている総司がと何だか可哀相に思えてきた。
「沖田先生?」
優しく問いかける。
総司はセイをちらりと見るが、フンと顔をそらせる。
「沖田先生ってば」
すっかりへそを曲げてしまった総司の肩をポンポンと優しく叩きながらセイは話しかけた。
「私もね、実は先生と甘味めぐりにお付き合いしたいとずっと思っていました。でも、私は副長の小姓ですし、副長が働いているのに、小姓の私が休むのは無理じゃないですか。けれど、今度もし、私に時間が出来て沖田先生が非番だったら一緒に甘味めぐりしましょ?」
総司はセイの方を向く。
「本当ですか!!」
「えぇ、約束しましょう」
総司は小指を差し出す。
セイは苦笑して指きりげんまんをした。
「だから、斎藤先生をもう困らせちゃだめですよ」
母親のように諭すセイ。
いったい、この人は無邪気なのか、単に精神年齢が低いのかどちらなのだろう。
「でも、問題は副長がお休みをくださるかどうかですよね」
セイは思案顔をした。
いつも多忙だが、ここ最近頓に仕事が増えたような気がする。
奉行所から役人も来ているし、何かまた問題が起こったのかもしれない。
弱音を吐くのが嫌いで、すぐ無理をする土方のことだ、何事も全部自分で仕舞い込んでしまっているのだろう。
もう少し私を含めて、皆に甘えてもいいのに・・・・・・。
自分が小姓になったのは、その身を案じてくれた結果であることは分かっている。
本来なら罰せられる所を彼は側に置いてくれた。
土方に女子だとばれたら、切腹もしくは脱隊のいずれかだろうと思っていた。
正直、切腹より脱隊の方が怖かった。
天涯孤独の自分には身寄りが無い。
せっかく見つけた生きがいを奪われては、どうして生きてゆけばよいのか分からない。
ただのんのんと暮らすよりかは、潔くこの世を去りたいと思っていた。
だが、意外なことに土方はここに残ることを許してくれた。
まるで、全てを見透かされたように。
今までのように刀を振るって最前線には立てないことが、罰といえば罰だが、それでも土方なり優しさに触れ、どれだけ救われていることか。
小姓としてその恩は報いたい。
「何を考えているんです」
気付けば、すぐ近くに総司の顔。
驚き、セイは飛び上がる。
「土方さんが休みをくれるかどうか考えていたんですか?」
「えぇ、まぁ」
「そんなの本人に直接聞けばいいじゃないですか」
意味ありげに総司が笑う。
「そんなこと、副長に言えません」
「どうしてです?」
「だって、私は副長の小姓ですよ。副長を手伝うのが任務です。それに私が休んだら、副長にその分負担がかかります。ただでさえ、副長無理しているのに・・・・・・。昨日だって、あんまり休まれていないんですよ。ご飯も最近小食気味だし。」
「・・・・・・ふぅん・・・・・・。まぁ、すっかりお小姓が板についちゃって。・・・・・・・・・・・・ところで、いつまでそんなところにいるつもりなんです?」
廊下の気配が明らかに変わったことを感じながら、総司は俯き淡々と言葉を発す。
「どうしたんです?いつもの貴方らしくない。ここは貴方のお部屋でしょ。何、遠慮してそんなところでつっ立っているんですか?・・・・・・土方さん」
「えっ?」
セイが驚きの声を出すと同時に総司が後ろ手で障子を勢いよく開ける。
そこには、苦虫を噛み潰したような土方がいた。
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