セイは行李からやや大きめな鏡を取り出すと、一度にこりと笑ってから頭頂部を写した。



手で軽く撫でてみる。




・・・・・ジョリ・・・・・・





「そろそろ剃らなきゃ・・・・・・」



大きな鏡とは別に懐から小さな鏡を取り出し、合わせ鏡にしてみる。
紅色の下地に金箔で桜が描かれているそれは、セイが有しているものの中でも数少ない女子らしい持ち物であった。
誰もいない事を知りつつも念の為、部屋を見渡す。
今、部屋の主、土方は湯殿である。
本人は気が付いていないが、結構土方の入浴時間は長い。
色男は色男なりに念入りに磨いているのかもしれない。
まぁ、そんなことをからかうと「小姓のくせに生意気だ」と言われるのは目に見えているので、口にはしないが。


行灯に近付き、しばらく己の頭を見た後、元結をするりと解く。



・・・・・・・サラリ・・・・・・・・・



艶ある緑なす黒髪が扇状に軽く広がり、柔らかく女の肩に着地する。
それは櫛で丁寧に梳かれるごとに、行灯の光をうけてきらめいた。
毛先まで丁寧に櫛を通し、再度鏡を手にする。



「後ろも大分伸びたかも」



手を背中にやると肩よりもやや下で髪に触れた。
しばらく己の髪をいじりながら何とはなしに思う。
それでも、以前に比べたら短髪には違いないと・・・・・・。


数年前、確かに自分は髪を女形に結い、女物の着物を身に着けていた。
兄におねだりして買ってもらったかんざしをつけ、頭を動かすたびにシャラリと音が鳴るのを楽しんでいた。
母親が早くに亡くなった男所帯では、年頃の娘に髪の結い方を教えられる者がおらず隣に住んでいた老女に教わったのはいつの日だったか。
鏡を前に一つ一つ段階を得て結い方を教えてくれる老女の手は暖かく、母が生きていればこんな感じで教えてくれたのかしらとそっと思ったものだ。



セイはふと髪を昔のように結ってみたくなった。
一人では中々難しいが、何とか形になるよう整える。
が、やはり全く髪の長さが足りず、どんなに引っ張っても満足に髷を結う事さえ出来ない。
残念と思う気持ちと同時にやはり女子の心は捨てられぬのかとも強く感じた。
自嘲めいた笑みを一つこぼして、ならばと側頭部から月代を隠すように髪をかぶせてみる。
今度は無理なく出来た。
鏡の中の自分は、「清三郎」から「セイ」へと変わっていた。
「セイ」に出会ったのは、随分と久しぶりだ。
しばらくその姿を鏡に映す。



「やっぱり切らなきゃだめだよね・・・・・・・・・・・・・・・」



意図せず発せられた言葉にセイは苦笑する。
あの日、自分は覚悟をして断髪し袴を身に着け屯所の門をくぐった。
昼間、同い歳ぐらいの娘が綺麗に着飾っていたのを見たからといって、こんな言葉が口をついて出るとは。
頬を両手で軽く叩く。


・・・・・・・・・・女々しいぞ、清三郎・・・・・・・・。


髪を手放し、乱暴に頭を振る。
兎に角、今は伸びた月代を剃る事が先決である。
さてさて、剃刀はどこへしまってあっただろうか。
コトリと合わせ鏡を置いたセイはふと気が付いた。
目の前の鏡に自分以外の人物が映っていることに。
驚き振り返ると、その人物は腕を組み障子にもたれながら口を動かした。





「別に、そのままでいいんじゃねぇか」






男は、大きな目を見開いて振り返った女を真っ直ぐに見て歩を進め、女の傍に腰を下ろした。
慌てる仕草をする女のなだらかな髪を一掴みし、そっと己の唇に触れさせる。
突然の男の行動についてゆけず呆けている女を得意のニヤリ顔で見やり、再度口にした。




「別に、そのままでいいんじゃねぇか」




パン




破裂音が部屋に響いた。



「痛ぇな。何も叩く事ねぇだろ」
手をブラブラとさせる土方に
「何てことするんですか!」
とセイは睨み付けた。


風呂上りの土方は些か肌が赤らんでいる。
髪を洗ったのか、いつもはきちんと結われている髷も今は見えず、肩に下ろされている。
その髪も雑に拭いたのか、毛先から雫が落ちようとしていた。
いつもとは異なる土方を至近距離で見たからか、心がひどく落ち着かない。
そんな自分を見破られるのが嫌で、ついつい口を尖らせてしまう。


「いつからいたんです?」
「さぁて、いつからだと思う?」
「意地悪」
「気が付かねぇお前が悪い」


フフンと上から見下ろすような笑みに今は何を言っても不利になるだけだとセイは唇をかみ締めて、顔をそらした。
瞬時に後ろで忍び笑いが聞こえてくる。
セイは聞こえぬふりをしてわざと大きく深呼吸すると、とにかく髪を結おうと元結を捜した。


・・・・・・が、ない。


顔を左右させるセイの目の前に一本の紐が垂らされる。


「お探しのものはこれかな、おセイちゃん」
立膝をたて頬杖をついている土方がゆらりゆらりと元結を揺らしていた。
「返してください!」
飛びつかんとするセイをまぁまぁと抑える。
「意地悪しないで返してください。こんなだらしのない髪のままでは、このまま部屋から出られません」
「別にそのままでいいんじゃねぇか」 
「もう、さっきからそればっかり。どこが、いいんです、どこが!!」
「俺はかまわねぇよ」
「私はかまいます」
「だからな・・・・・・・・・・・・」


土方は少し息を深く吸い込んだ。




「俺は、もうお前に月代を剃る必要はねぇと言っているんだ」









「それはどういう・・・・・・」
意外な言葉にセイは怒りで振り上げていた拳をゆっくりとおろした。
「その通りの意味さ。別に武士だから月代を剃らねばいけねぇというわけじゃねぇ。それなら、幹部の大半が武士じゃなくなっちまう」
・・・・・・俺もこの頭だ・・・・・・・・・
そういって、土方は自分の頭を指差した。


今日は珍しく伊東参謀の気配に怯えることなく、ゆるりと湯につかる事が出来、とても心地よい湯浴みだった。
自然、部屋へ戻る足取りも軽くなる。
しかし、軽快に自室の障子を開けた土方に映ったのは、部屋の隅でそっとため息をこぼしてるセイの姿だった。
髪を下ろし、丁寧に櫛で梳いている。
いつの間に寝巻きに着替えたのか袴は身につけておらず、帯の部分が細い柳腰を強調させていた。
不覚にもゾクッとしてしまう。
このままでは何かが理性を駆逐してゆきそうだと、もう一人の自分が警鐘を鳴らすも、視線は相変わらずセイを捉えていた。


声をかけようか、かけまいか。
からかおうか、からかわまいか。
迷うも結論は出ず、結果じっと女を見入ってしまう。


女は髪を女形に結おうとしているのか、持ち上げ丸めるも当然長さが足りず形にすらならない。
小さなため息をついて、今度は両側から髪を上に持ってきた。
どうやら月代を隠そうとしているらしい。


はぁ・・・・・・・・・・・・・


いつものセイからは似つかわしくない重いため息。
儚ささえ感じてしまう。



「やっぱり切らなきゃだめだよね・・・・・・・・・・・・・・・」



顔を少しずらすと、鏡の中の「セイ」が見えた。
目を伏せ、俯きがちな顔。
今更ながらセイの髪型に対して、違和感を持った。
そう、髪は女の命である。
さらりと長く黒い髪は女が美を競う一番要のものだ。
出会ってからずっとセイが前髪で月代を剃っていたから、その姿に違和感を持たなかったのかもしれない。
加えて、セイが女子であると知ったのはつい先のことである。
己の誠の為とはいえ、年頃の娘が断髪をし、月代を剃っている。
こうして人知れずところで、鏡に向かいそっとため息をこぼしている。
鏡越しにみるその顔は土方には今にも泣き出しそうに見えた。
いつも元気で活発で生意気さえ感じてしまうセイのその表情は、どうしようもなく、胸が痛かった。



「何言っているんです。私、神谷清三郎は武士ですよ。」
「あぁ、そうだな。しかし、俺はお前に良く似た女子を知っている」
「誰です、それは?」
「さぁて、誰だろな?俺もそいつの顔をあまり拝む事はねぇから、よくは知らねぇけどよ。時々出会う。いつもふいに出会うんだ。さっき、そいつは鏡の中にいた。髪を切る事を躊躇っていたようだった。」
セイの顔が一瞬歪んだように見えた。
「その女に声をかけた瞬間、女は消え、どこぞの生意気小童が姿を現した」
「何、おっしゃっているんです?近頃、仕事が忙しくて島原にいらしてないから、幻でもみたんじゃないですか?」
何かを抑えるように強い口調で話すセイに
「そうかもな」
と土方は苦笑しつつ話を合わせる様に答えた。



「そんなことよりもですね、副長。ご自身の髪の毛をきちんとふき取った方がいいですよ。湯冷めしますから」
いつの間にか元結を土方の手から取り返したセイは、懐から手ぬぐいを差し出しながら責める口調で言った。
「がきじゃねぇんだ。湯冷めなんかするか」
「そのがきではない方が、この間雨に濡れて風邪を引いたのはどういうことなのでしょう」
「やかましい」
セイから乱暴に手ぬぐいを奪い取り、これまた乱暴に髪の毛を拭く。
妙に子供じみたその仕草がセイの笑いを誘った。



「今日は、もうお休みになられるんでしょ。」
「あぁ」
「お休み前にもう一仕事しません?」
「あん?」
「私の月代、剃って下さい」
ポンと剃刀を手渡される。
「・・・・・・・・・・お前、この俺に女の髪を剃れっていうのか」
「何わけの分からない事をおっしゃる。どこに女子がいるんです?貴方の目の前には小姓の神谷清三郎しかいませんよ」
「だが、しかし、そうは言ってもだな・・・・・・」
「いいんですよ。そのお気持ちだけ有難く頂戴しときます。今まで個人的に髪結いさんに頼むのは抵抗があって、月代を自分で剃っていたんですけれども、矢張り一人じゃ出来が良くないんですよ。副長、頼みます。貴方の小姓の身だしなみが整然としていなくてもいいんですか?体裁にかかわりませんか?」
悪戯っ子のような笑みを向けるセイに困惑する土方。
「もう、副長ってば。他でもない、副長だからこんなことお頼みしているんですよ」
セイは大きな古い紙の上にぼろ布をかぶせ、そこにちょこんと座る。
いつの間にか、水の入った桶まで用意されていた。
「さぁ、早く。寝るのが遅くなってしまいます」
早く早くとせかされ、不承不承土方は剃刀をセイの頭に向けた。




以後も何だかんだといいつつも土方がしぶった為、ちょっと月代を剃るだけだったのに、案外時間がかかってしまった。
「ねぇ、副長?」
「俺は二度とこんなことはごめんだ」
「まだ、何も申していませんよ」
きれいに月代を剃られたセイがうつ伏せで両肘を付いてにこにこと顔を向けた。
「私に髪を伸ばして欲しいですか?」
「・・・・・・・・ふん。そんなことは、俺が決めることじゃねぇ」



クスクス
静かな深夜に忍び笑いが部屋に響いた。



「もし・・・・・・もしね、副長が髷を落とし異人の似顔絵のように短髪になさったら、私は逆に髪を伸ばしますよ」
「何で、俺が異人野郎の真似をせにゃならんのだ。胸糞悪い」
「ふふふ。ということは、当分私の月代を剃ってくださる方は副長で決定ですね」
「何でそうなるんだ!!」
「だから、言ったじゃないですか。『他でもない、副長だからこんなことお頼みしているんですよ』と」
「・・・・・・・・・・どういう意味だ」
「さぁてね。ご自分でお考えになられてください」



おやすみなさいと言う言葉と共に行灯の光が消される。
土方は眉間に皺を寄せたまま、横になった。









「副長、本当にいいんですか?本当に髷、落としちゃうんですか?後悔しませんか?切ったら伸びるまで結構日にちがかかるんですよ」
驚愕するセイに土方はにやりと笑みを返した。


「あぁ、ばっさりやってくれ。他でもないお前だからこうして頼んでいるんだ」
鋏を手渡され、困惑するセイ。


いつぞやとはまったく逆の光景が見られるのは、まだまだ先のお話・・・・・・・・・・・・・・・・・。





初の書下ろしです。(情けない)
いや、流石に他所に投稿したものばかりではご来店下さった皆様に申し訳なくて、急遽書きました。
もっと、しっとりした雰囲気で書こうと思ったのですが・・・・・・・・・・。


お風呂で髪を洗っていて、「そろそろ切ろうかな」と思ったときに、浮かんできたお話です。
話の中ではセイちゃんは副長の小姓という設定です。
女子だとばれています。


私の作品の小姓ネタがまた一つ増えました(笑)

私の髪のようにまとまりのないお話でしたが、(笑)お読みくださり有難うございました。