最初に好きになった人は、兄上でした。
歳の離れた妹の私をそれはそれは可愛がってくれました。
「いつか兄上のお嫁さんになるの」・・・そう恋心にも似た思いを抱いていた幼い私がとても懐かしく思われます。
次に好きになった人は、私の命を救ってくれた人でした。
無邪気な笑顔が印象的で、いつまでも子供心を失わず、信念を貫く人です。
剣を持たせれば日本一、でも、女心に野暮なのも日本一。
「初恋って実らないらしいの」・・・昔、寂しそうに友達が言っていた言葉を思い出しました。
他意がない笑顔は、今でも私の胸をちくりと刺します。
そして・・・今、私の心の中には、鬼が住んでいます。
いつの間にか、勝手に人の心に入ってきて、居座ってしまいました。
でも、決してこちらを向いてくれません。
頑とした背中。
最初は寂しくも思いましたが、耳がうっすらと赤いことに気付いてからは、失礼だけれども、とても可愛いと思ってしまいました。
そう、この鬼は無類の照れ屋さんだってこと、忘れていました。
鬼が私の心に入ってきたのは、鬼に私の秘密がばれてしまった時です。
真っ赤な赤鬼がドスドスと足を踏み鳴らして入ってきました。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
小姓の私の仕事は、副長を起こすことから始まります。
冬の寒い朝は、お布団から出たくないけれど、えいっと身を起こします。
衝立の向こうには、まだ夢の中の副長。
声をかけるけれど、なかなか起きてくれません。
「副長、土方副長、朝ですよ」
軽く揺らすと、寝返りをしてこちらを向きました。
「・・・・・・まだ、暗いじゃねぇか・・・」
そういって、また瞼を閉じてしまわれます。
「冬だから日が昇るのが遅いのは当たり前でしょう。ほら、早く起きてください」
副長は、手をしっしと振って、頭から布団をかぶってしまわれました。
・・・隊士の誰よりも早く起きなきゃ、気がすまねぇ。
そうおっしゃっていたのは、どこのどなたでしょ?
「土方副長!子供じゃあるまいし、ちゃんと起きてください!そんなに眠いのなら、起床時刻過ぎまで寝ていて,士道不覚悟で切腹して永遠の眠りにつかれたらいかがですか!!そうしたら、思う存分眠ることが出来ますよ!!」
布団をめくり耳元で大声を出したらやっと起きてくれました。
・・・って、何でそんな顔して睨むんですか?
早く起こせとおっしゃったのは貴方でしょ?
私だって、可能ならばもっと寝ていたいんです。
負けじと睨み返したら、向こうがぷいっと顔を背けてしまいました。
本当に可愛くないんだから。
でも・・・寝起きの副長は妙に・・・その・・・何といいますか・・・色気があります。髪がみだれていても、前が少し肌蹴ていても、むさくるしくなく、むしろ目が離せなくなるというか・・・・・・。きっと、私しか知らない副長の姿でしょうけれども、伊東先生あたりがこの場に居合わせたら飛びついてくるかもしれません。
睨んでいたつもりが、副長に魅入ってしまったようで、気恥ずかしくなりました。
こんなこと、絶対に本人には知られたくありません。
「何だ、神谷。じろじろと人を見て」
視線を反らすよりも先に、副長から声をかけられてしまいました。
そのニヤニヤした顔。悪戯っ子のような目。私の苦手な副長です。
「何でもありません。さぁ、布団を片付けますから、とっとと退いてください」
乱暴に掛布団をたたむ私をいつまでもからかいの眼差しで見上げています。
カッと頭に血が上った瞬間、急に抱き寄せられ、襟足を吸われました。
まるで、神業のような速さです。
「お前なぁ、もうちっと色っぽく起こせねぇのか」
後ろから抱かれているので、副長の顔は見えませんが、きっとまだあのニヤニヤ顔でいるに違いありません。
「離してください」
胸の高鳴りを見破られぬように、出来るだけ何の感情も乗せずに冷淡に言いました。
「お前がそう言って、俺が離したことあったか」
首から肩にかけてふぅっと息をかけられます。冬の朝の寒さなってふっとんでしまいました。もがいても、お腹の前で結ばれている副長の手を引き離そうとするも、うんともすんとも出来ません。
項に副長の唇が何度も吸い付きます。背中に副長の重みが次第にかかります。このままでは・・・。
「・・・っ・・・・・・やっ・・」
最後にひとつ大きく吸い付けると、ようやく体を離してくれました。
「何、泣きそうな顔してやがる」
「なっ、そんなことありません。副長の色男ぶりにあきれているだけです。壬生『狼』とはよくいったものですね。副大将が月が無くてもいつでも狼だということは良く分かりました。」
「お前が悪い」
「何故ですか!!」
副長は、立ち上がり少し乱れている寝巻きを整えました。
こちらを見向きもせず、新しい手ぬぐいを棚から取り出します。
その所作にとてつもなく憤りを感じ、思いっきりにらみ付けました。
でも、敵はふふんと笑うばかりです。
「・・・隙あり」
障子を開けた時振り向きざまにそういって、部屋を去ってゆきました。
もう、悔しくてたまりません。本人が、立ち去ったことを確認してからあっかんべぇをこっそりしましたが、気休め程度にしかなりませんでした。
副長が先に井戸場へ行き、洗顔などを済ます間に、私は先に着替えて、お布団を片付けます。そして、副長が戻られたら、お着替えになるのをお手伝いして、今度は私が洗顔をしにいきます。
いつからか、これが朝の決まりごとのようになっていました。女子の私を気遣っての行動なのか、副長は割合ゆっくり部屋に戻られ、障子はどこか遠慮がちに開けられます。入隊当初は大部屋で他の隊士の方々と一緒に生活していましたし、私は別に衝立さえあれば大丈夫なのですが・・・・・・。女子に手が早い副長らしからぬ行動です。
でも、そのお心遣いは嬉しいので、自分の着替えが済んだら障子を少し開けておくことにしました。入っても宜しいですよという合図のつもりです。何も言わなくてもその合図の意味が副長には通じたようで、朝の身支度はお互い前よりもすんなりいくようになりました。
副長の着物って黒色しかないのではと小姓になる前は思っていましたが、そうではないことを知ったとき少し驚きました。だって、副長というと黒い着物という印象が強いんですもの。
格子模様の着物もありますし、色も明るいものが少なくありません。着物の数は多くはありませんが、布地の質が良い物ばかりなので、どれも長持ちがする品です。実用的で副長らしいと思います。
でも、やはり副長には,黒の着物が似合います。見慣れているというのもあるけれども、肌が白い方なので、とても黒が映えるんです。それに、すごく威厳を感じます。
寝巻きを着替えられて、身支度が整った副長は、新撰組副長・鬼副長になります。先程までの浮いた感じは微塵も感じられず、ビシッとしていて、傍にいてこちらも身が引き締まる思いです。
そのような鬼副長の傍でいると、この人の言うことに間違いはないと思え、大げさかもしれませんが、新撰組の名が将来まで語り継がれてゆくような気がするのです。
ただ怖いだけの副長ではないことを小姓をしてから再認識いたしました。
朝食は、局長室で摂られる事が多いです。近藤先生の分も合わせてお二人分、局長室へお持ちします。近藤先生も最近は胃の調子が落ち着いているご様子で、君蝶さんの御薬を召し上がらなくても大丈夫になりました。
お食事をお持ちしたら,私はすぐに席を立ちます。お二人だけでお話したいこともあるでしょうから。むしろ、この時間を利用してお互い連絡を交わしたり、相談していたりなさっているのではないでしょうか。いつもなら、「近藤先生のお傍が良い!!」と暇さえあれば、局長に寄り添ってくる沖田先生が、この時間だけは別の部屋でいらっしゃいますし。
寸暇を惜しんで朝食の時間まで話し合いなさるお二人は、本当に大変だとはおもいますが、局長も副長も遠慮の要らぬ二人きりでお話できるこの時間がとてもお好きなようです。たまに、・・・本当にたまに、信じられないことですが、副長の笑い声が廊下まで聞こえてきたりします。私をからかう時のような憎たらしいものではなく、本当にお互いに心を許して談笑なさっている様子が、手にとるようにその笑いから分かるのです。一度、そういうときの副長のお顔を拝見したいものですが、あの方の性格からしてきっと無理でしょう。とても残念なことです。
副長が召し上がっている間、私は副長室の片付けをします。何を片付けるのかって?
それは、対伊東先生防備の品々・・・・・・ありていに言えば、罠です。結構大変なんですよ、これが。
まずは、床下に潜って、鳴子をとりはずします。次に障子のつっかえ棒代わりにしている細い竹をしまい、入り口近くに糸で張ってある鈴をとりはずします。また、入り口の隅にばらまいた楔を回収し、天井からつりさげた鳥もちを衣にくっつかないように注意してはずします。その他、悪霊退散と書かれた札を障子からとったり、もし彼が侵入した時、助けを求めるための呼ぶ笛を片付けます。小姓になって、初めて副長室で寝たとき、夜、副長がせっせとこれらの罠をはっているのを見て驚いたのと同時に思わず笑ってしまいました。「お前も手伝わんか!」と怒られましたが、伊東先生に対しては、副長と似たような境遇ですので、言葉どおりに手伝いました。
これらが奏をなしてか、今のところ被害はありません。内海先生に会う度に伊東先生をいついかなるときも見張って下さるよう頼んだのが良かったのかもしれません。
午前中、剣の稽古が終わったあと、副長室のお掃除をします。当初、副長は小姓に稽古は必要がないとおっしゃいました。私が、性別を偽っていたときの罰として「神谷清三郎に極力刀を握らせない」というものがあります。それゆえ、小姓という実践から遠いところに配属されたわけですが、稽古をしないと腕は落ちますし、それでは、いざというとき使いものになりません。そのことで皆様にご迷惑をおかけするのは嫌なので、副長に頼み込んで稽古だけはさせてくれることになりました。
副長のお部屋は原田先生のお部屋とは対照的にすごく整っており、私が小姓になる前から、きれいでちりひとつ落ちていません。押入れの中も行李が整然と積まれており、
どこに何があるか一目で分かるようになっています。きっと頭の中もこの部屋のようにきちんと情報が整理されているのでしょう。それ故、副長のお部屋の掃除は凄く楽です。ただ、書きかけの紙や書類が文机の周りに沢山あることがありますが、それは致し方のないことです。
掃除は肉体的には楽なのですが、精神的にはどきどきすることもあります。副長が所用でお留守のとき、こう書類が沢山積まれていると、それをのけて掃除をしていいものか、そもそも小姓の私が触ってよいものかすごく悩むんです。副長付の小姓とはいえ、私はただの平隊士。知ってはならぬ情報も沢山あることでしょう。勿論、それらの書類を見るつもりはありませんが、何かあったとき一番に疑いをかけられるのも事実です。
そこで、副長に少し大きめの木箱を渡しました。部屋を空けるとき、重要な書類はこの中に入れて、私の背の届かない高いところに置いてくれるよう頼んだのです。疑念というものはかける方もかけられる方も良い気はしませんから。
「何もそこまで」と副長はおっしゃいましたが、私の意を汲んでくれたのでしょう。何も言わずに、木箱を受け取ってくれました。私、こういうことは、はっきりしとかないと気がすまない性質なんです。でも、考えて見れば、事情が事情とはいえ、隊内の秘密や裏など隅から隅までの情報が入ってくる副長室に何のためらいもなく私を小姓として置いてくれたことは,少なくとも信用はされているということですから、とても嬉しく思います。
朝は特に来訪者もなく、部屋のなかには副長と私の二人だけの時間が長いです。
雑巾がけをしながらそっと盗み見る副長の後姿。
これは小姓になってからの些細な楽しみの一つです。
あっ、今、首をコキンと鳴らしました。
腕をぐるぐる回しています。大分、凝っているご様子です。
「肩、おもみましょうか」
書き上げているものが終わったのを見計らって、声をかけました。
「いや、いい」
「でも、さっきすごい音がしましたよ。遠慮なさらずに。もんでさしあげますよ」
副長の肩をそっと触ったら、筆を硯に置いて、手をだらんとさせました。
それを見届けてから、私は肩を叩いたり、もんだりします。
副長から、肩もみを頼まれたことはありません。意地っ張りですから。
それに、してほしくても自分からそうおっしゃいません。
さっきのように、何も言わずに筆を置きます。
それが、あの方のしてくれという合図なのです。
そういう言葉では言わない合図が副長には多くあり、それを一つ知る度に、副長に近づけたような気持ちになります。
副長は目を閉じられています。
考え事でもなさっているのでしょうか。
それにしても、何で朝からこんなに凝っているのでしょう。
「おい、力が弱まってきたぞ」
だって、すごく凝っているんですもん。」
「握力が弱ぇんだよ」
「違います。副長の肩が異常なんです。握力は関係ありません」
他の女子に比べたら、剣の修行をしているぶん、力はあると思うのですが、当然男の方よりも全体的に力は劣っています。なんか、そういうのってすごく悔しいんです。非力なのが。性別上仕方がないこととは分かっているのですが、何だか負けている気がして、もっと力があればよいのにと思います。
「そういうのなら、腕相撲でもしてみるか。俺は絶対にお前に勝つ自信があるぜ」
「それは、当たり前でしょう。だって、副長は男だけど、私は・・・・・・」
「私はなんだ?『神谷清三郎』、俺は男で、『神谷清三郎』は何だって?」
・ ・・・・・もう。知っているくせに、意地悪。その悪巧みをしているような目、嫌いです。
「『神谷清三郎』も『武士(おとこ)』です。そんなことご存知でしょ?」
「ほう?」
「何でそういうふうに意地悪なんですか!はい、もう肩をもむのおしまい!!」
お返しに、ばしっと思いっきり肩をたたいてやりました。
痛がる顔を想像していたのに、「蚊でも止まっていたのか?」とにやっと振り向く副長。
妙な仏心を出して、副長の肩をもんだ私が悔やまれます。
ここで何か言葉を返したら、さらにからかってくるのは火を見るより明らかなので、目を反らしました。副長のこのしつこさが嫌です。そんなしつこさに勝てない自分が嫌です。
掃除を再開しようとしたら、いきなり手首をつかまれました。
えっ?と驚く間もなく、私を引き寄せると副長は私の手首を握り力をぎゅっと入れ始めます。
「どうだ、痛いだろう?」とその顔には書いてあります。自分にはこれだけの力があると見せ付けたいのでしょうか。
「たいしたことありません」とそっけなく口にしたけれど、本当は痛くてたまりません。
「ほう?」
更に力を強めてきました。しびれてきたけれど、我慢我慢。この状態で負けを認めたくはありません。・・・・・・だけど、・・・手が・・・折れそう・・・・。
急に力が弱まりました。「我慢強さだけは一人前だな。童の意地か?」という声が聞こえてきます。
「副長なんて、大っ嫌い!!」
「島原のイイ女ならともかく、童に嫌われても痛くも痒くもねぇ。あぁ、童のからかいに無用な時間を費やした。あ〜ぁ、時間がもったいねぇ」
ですって。
もう、本当に頭にきた。
後で、賄い方の方に頼んで、今日の夕飯は副長が嫌いなものばかりにしてやる。
そんな私の企みも知らないで、副長は背伸びを一つして机に向かいました。
お昼を過ぎると、必ず訪れる来訪者がいます。
御菓子と枕を持って訪れる沖田先生です。
夜に見回りがある場合、しばしばお昼は副長室で昼寝をとられます。
以前、ご自分のお部屋では休まれないのですか?と尋ねたら、土方さんの傍が一番いいんですよと満面の笑みを浮かべて返されました。
毎度毎度のことなので、副長も出て行けと怒鳴りはするけれども,最終的には仕方がねぇと沖田先生を部屋に招き入れます。何だか、本当の兄弟を見ているようです。
沖田先生がお休みになられているこの一刻ほどが、私の休憩時間というか自由時間です。
しばらく、沖田先生が持ってきてくださった御菓子とお茶と一緒にお話をした後、私は部屋を退室します。
今日も、ほら、軽やかな足音が聞こえてきました。
「ひっじかったさん!!可愛い総司が遊びにきましたよ♪」
「来んでいい」
と即座に断る副長の言葉を無視して先生は入室します。
今日のお菓子は大福です。
お茶を入れてきますねと立ち上がると、自分で持ってきましたですって。
盆の上にはこんもりともられた大福とお手拭まであり、あまりの用意周到さに思わず吹き出してしまいました。
大福をお皿に分けて、お茶を副長、沖田先生そして私の順に手元に置きます。
今日の大福は、八木さんお勧めのお店から買ってきたそうで。
確かにとても美味しいです。色も鮮やかで、さすが、沖田先生の選んだ御菓子です。
しばらく、他愛の無い話が続きました。
一番隊の様子や永倉先生と原田先生の悪巧みが井上先生に見つかり怒られた話などが沖田先生の面白い脚色で進められてゆきます。
副長も漸く手を休められて、「全く、左之や新八には困ったもんだ」と腕を組みましたが、言葉とは裏腹に全く困ってなさそうな口調です。
沖田先生はとてもお話がお上手です。聞いていると、あたかもその場にいたかのような気分になれます。副長も「五月蝿い」「俺はおまえの話を聞いている暇なぞない」とかいいつつ、しっかり耳を傾けています。
話が一区切りついたころ、沖田先生がこんなことをおっしゃられました。
「しかし、こうしてみると、神谷さんもすっかり土方さんのお小姓さんになっちゃいましたね。私の傍にいた頃とは何か変わったような気がします。」
「えっ」
「いや、変な意味ではないんですよ。神谷さんがしっかり小姓のお仕事をしているということが言いたかったんです。大童の土方さんのお小姓なんて、隊内では神谷さんぐらいしか勤まりそうにありませんものね」
副長に怒鳴られ叩かれる沖田先生を視界に入れながら、私はさっきの言葉を反芻していました。
・ ・・何か変わったような気がします・・・・
沖田先生のお傍にいるときは、絶対に聞くことのできなかった言葉。
いつも、迷惑をかける私に沖田先生が口にする言葉は「少しは落ち着いてくださいよ」とか「全く、あなたはいつまでたっても変わらないんだから」とか「これじゃぁ、目が離せませんよ」とか。
「あなたは変わらないですね」というのが、先生の口癖のようなものだったのです。
その時は、自分がまだまだ一人前の武士として認められていないんだってとても悔しくていつか、「神谷さん、あなた変わりましたね」という言葉を言って欲しくて頑張っていました。
けれども、先程のように副長のほつれた衣を修繕している私を見てそう言われた言葉はずっと前から望んでいた言葉では無く、ちくりと胸が痛みます。
どうしてかは分かりません。副長の小姓になっても、沖田先生の中にいる神谷清三郎はいつまでも変わらないままでいて欲しかったのかもしれません。
今、かかりぬいをしているこの衣からは、副長の香りがかすかに鼻に届きます。その香りが昔の私を押しとどめようといしている気がしました。
決して、沖田先生の野暮のひどさに愛想がつきたわけではありませんが、いつか振り向いてくれるだろうという淡い希望をずっと胸に抱いているのは苦しくなりました。きっと、沖田先生との距離が仕事でも一緒でしたから近すぎたのでしょうね。揺れ動く私を、この香りは香りの主へといざないました。
いつもにこにこしている貴方より、めったに笑みをみせぬあの人に。
深い意味もなく大好きですよと口にする貴方より、そんな事一度しか言ってくれたことのないあの人に。
そう、私はいつからか心が奪われてゆきました。
それでも、女心とはずるいもので、貴方の胸の中には昔と同じように弟分としての私がいてほしいなんて思ってしまうのです。そう、今の私には貴方から「変わりませんね」という言葉のほうが欲しいのです。
ふと、視線を感じ顔を上げると副長と目が合いました。
・・・・・・そんな顔して私を見ないで・・・・・・。
こんなときこそ、いつもみたいに冗談をいってからかってください。
副長の視線が痛くて、そばにあったお茶をぐいっと飲み干しました。
・・・・・・沖田先生が煎れてくださったお茶は、少し苦く感じました。
自由時間は山南先生のお部屋にお邪魔しました。勿論、同室の伊東先生がいないのをみはからってのことです。今日は弟の三木先生や内海先生とご一緒にお昼前からお出かけなさっているそうで。山南先生は,お茶菓子を用意してくれていました。
最近、自由時間は山南先生のお部屋で過ごすことが多くなっています。山南先生のお話をお聞きしたくてご迷惑とは知りつつも伺っています。以前、明里さんに語った三国志ってどんなふうに話されたのかしらという興味があったのが最初です。それから、山南先生のお話に引き込まれ最近では戦国武将の話を聞いています。山南先生は、分かりやすく順序立ててお話して下さり、又豊富な知識を話の随所にちりばめられて話されるので、ついつい身を乗り出してしまいます。その話がとても面白いので、不思議なことに一度聞いたお話は忘れません。沖田先生とは又異なる話術の上手な方だと思います。今日は、武田信玄と上杉謙信のお話で敵に塩を送るくだりのところを伺いました。山南先生のお話は時間が経つのを忘れさせます。
夕飯、副長は副長室でとられるとのこと。頃合を見計らって、お膳をお持ちしました。
お膳の中身を見たとき、一瞬副長が顔をしかめられます。それはそうでしょう。だって、副長のあまり好きではない食材ばかり並べられているのですから。
副長はゆっくりと箸を動かしだします。ふふふ、覇気の無いお顔です。
朝と昼間のお返しですよ。
副長の好物は,小姓をしてから容易に知ることが出来ました。
きちんと三角食べをなさる局長や斉藤先生とは異なり,必ず一品最後に残されます。
最初はそれが嫌いな食べ物かしらと思いましたが、観察しているとそうではないことが分かってきました。好きな食べ物を最後に召し上がられるのです。沢庵とかそうです。反対に、嫌いなものは最初に食べてしまわれます。骨の多い魚とか京の味付けの煮物とか。
それにしても食事って一番性格が出るなぁと思います。お箸の先しか濡らさずきちんと丁寧に食べ終わるのが斉藤先生。お腹いっぱい満たされるまで食べつづけるのが原田先生。自分の好物があると物欲しそうな目で見ているのが沖田先生でそれに応えるのが近藤局長。食べる前にきちんと手を合わせるのが井上先生。
食事の仕方でお里が分かるとは言いえて妙だと思います。
さて、本日の夕飯は骨の多い魚に京の味付けの煮しめ。お味噌汁も京風のものです。
食事に不満を言うのはみっともない、出されたものは残さず食べなければと思われているのか副長はゆっくりとですが夕飯をお食べになられます。私もどちらかというと東の味付けの方が好きなのですが、京にいるのも長くなりましたから今ではどちらでも抵抗はありません。
私の密かでささやかな反抗に副長がのったことに内心スッと致しました。
意地悪と思われてもこれぐらいのことはお返ししたいもの。
少し優位にたった気がしました。
夕食後副長がお風呂に入られている間に私はお布団の用意を整えます。今日は、特別な仕事は無く早く休まれるそうです。明日黒谷の方へ行かれるとのこと。副長の袴、押しをしとかなくちゃ。
副長がお風呂に入っている間、毎日欠かさず行っていることがあります。
それは、兄上に今日一日の報告をすること。
あの日、兄上と永遠の別れとなった日に身に付けていた髪飾りはその年の正月に兄上が買ってくれたものでした。十五になった私に年頃なんだからもっとしとやかにしろと髪飾りを渡されました。兄上の選んだ髪飾りはとても素敵なものでしたが、私はいつまでも兄上の幼い妹でいたくて、まだまだ甘えていたくもあり、それを身につけることに抵抗がありました。
そんな私の気持ちに気づかず、買ってくれた次の日「セイ、それ気に入らなかったのか?」とすごく肩を落として兄上が言うものですから、慌ててつけたのを覚えています。
そう、この髪飾りは兄上の形見ともいえるものなのです。
行李からそっと取り出して、兄上に報告を致します。
勿論返事は返ってきませんが、心の中の兄上はにこにこと笑っています。
悲しいことが会った日も、辛いことがあった日も、全部兄上に報告します。
その時々によって兄上は励ましてくれたり、ただ話を最後まで聞いてくれたり時には叱ってくれたりします。
女々しいと言われるかもしれませんが、どうしてもこれだけは譲れなくて。
今なお、私と兄上をつないでくれる誰にも内緒の髪飾りなのです。
でも、一度だけ、副長に露見したことがありました。
その日、すごく嫌な事があって愚痴愚痴と髪飾りに話しかけていたのを覚えています。
そのことに夢中になってしまい、副長がお風呂から戻られていたのに気付かなかったのです。
兄上に報告をし終わり、はっと気付くと後ろには髪を濡らした風呂上りの副長の姿。 正直、焦りました。
兄上に副長の悪口もさんざんに報告していましたから。
副長の視線が私の手元に注がれます。
副長の口が開いた瞬間、「女々しい」とか「不甲斐ない」とか「まだまだ童だな」とか
さんざんにからかわれるかと思っていましたが、「まだ俺は部屋にいない方が良いか?」とぽそりと言い、部屋を去ってしまわれました。
その行為にとても驚きましたが、同時に副長という人が少し分かった気がしたときでもありました。
勢いよく障子を開けて、副長が部屋に戻られました。
息がぜーぜーと切れています。
何があったのかと私が尋ねる間もなく、副長は障子につっかえ棒をし、伊東先生用の罠をしかけだしました。何があったのか副長の鳥肌が語っていました。
「何であいつに背中を流されなくちゃならねぇんだ!!」と副長が体をさすりながら怒鳴ると、調子を合わせたように廊下から「内海、土方君の肌はつるつるだったよ。」という上機嫌の声と内海先生の深い深いため息が聞こえてきました。
・ ・・おいたわしや、副長。
体を温めにお風呂に入られたのに、悪寒がとまらない様子です。
・ ・・心中お察し申し上げます。
その後、調べ役の山崎さんが訪れたり、明日黒谷へ持ってゆく書類に付け加えることが出来たとかで、副長が床についたのは結局それから二刻後のことでした。シンとした闇夜の中、明かりがついているのは、この副長室だけです。今夜は新月で、外は一層暗さに包まれています。
先に休んでろと言われましたが、上司より先に眠るなんて出来ません。
頼まれた書類の写文を済ませた後は、医学書を読んで時を費やしました。
私の知らない知識が多くとても勉強になります。
この医学書の本は山南先生の小姓をしているときに先生が買ってきてくださったものです。もう、随分前のことですから読み終えてはいるのですが、とても詳しくて何度読んでも飽きないし、学べることは沢山あります。
「ふぅ」という声が聞こえました。
どうやら、仕事が終わったようです。
「お疲れ様です。さぁ、明日は早いのですから早くお休みになられて下さい」
副長のどてらをたたんで枕もとにおき、お布団の掛布団をめくります。
「今夜もまた冷えますね。」
「お前ももう寝ろ」
「はいはい。私も休ませて頂きます。お休みなさい」
「おう」
副長がきちんとお布団の中に入られたのを確認してから行灯を衝立の向こう側へつまり自分の布団のほうへ持ってゆきます。
さぁ、私も早く寝なくちゃ。
お布団に入ると、とてもひんやりしていてぶるぶるっとなりました。
猫のように体を丸めて徐々に体を伸ばしてゆきます。
あまりの寒さでなかなか寝付けません。
寝返りを打った時、衝立の奥から声をかけられました。
「おい、まだ起きているか」
暗闇に響く声。
でも、私は返事を返しません。
「起きているのだろ?気配でわかる」
副長がこちらに近づいてきますが、私は狸寝入り。
こんな時、下手に返事を返すとどうなるのか私には分かっているからです。
布団を頭からかぶってだんまりをきめこみます。
「上司が声をかけているのに、無視とはいい度胸だ」
布団の上から重みを感じました。
「もう、何ですか。私は眠くて眠くてたまらないんです」
「ほう?」
掛け布団を無理矢理はぎとると隣にねそべってきます。
「・・・・・・大声出しますよ」
「出せるものなら、出してみな。困るのはどっちだろうなぁ」
くすくすという笑い声が耳に届きます。
「お前が先程今夜は冷えるといったから暖めてやろうか思ったんだが」
「それはそれはどうもご親切に。でもありがた迷惑です。私は、眠いんです。自分の布団に戻ってください・・・・・って、ちょっと、ちょっと待ってくださいってば」
夜の副長の手癖の悪いこと比類なしです。
それがまた神業のように速く抵抗するひまもありません。
「今夜はやけに嫌がるじゃねぇか」
首筋をなめてくる副長。
その跡が夜の空気にさらされひんやりとします。
両手を抑えられて、足の間に副長がいるから蹴ることも出来なくて、どうしようもありません。残されているのは口だけ。言葉による反抗。
「副長なんて・・・嫌い。大嫌い。この世の中で一番嫌い」
「嫌いで結構」
そう開き直られたら、どういい返せば良いか分からないじゃないですか。
この間、私がぽつりと小さな声で「嫌い」とつぶやいたら、至極慌てて体を離したのに。
同じ手は通用しないということですか。
そうこうしている間に大きな手が胸元を泳いでいきます。
自由になった右手で思いっきりつねると、癖の悪い手は退きました。
「っ!!何するんだ」
「副長は、嫌だという女子を無理やり抱くのがお好きですか」
「聞き分けの無いじゃじゃ馬を言うこときかすのは好きだな」
「貴方と出会った女、皆が皆、貴方に惚れるわけではありません。大嫌いな女もいるんです」
「どこに」
「ここに!」
「ほう、嫌いな男に抱かれて、その男をぞくぞくさせるようなイイ声あげる女というのも珍しいな」
「なっ!」
「一度聞こうと思っていた。お前、俺の腕にいるとき誰を想っている」
からかいの口調から一転して至極真面目な口調に、そしてその内容に返す言葉を失いました。
「昼間言われた奴の言葉がそんなに気になっているか」
穏やかな口調とは裏腹に鎖骨のあたりの吸い付きが強まってくるのが分かります。
副長に言われたことは図星でした。奴とは、沖田先生のこと。今日一日何をしていてもずっとそのことが頭にあったような気がします。
でも・・・・・・、副長、誤解しています。
気になっているのは、沖田先生の言葉よりもあのとき見せた貴方のお顔。
どこか罪悪感を感じているような、罰の悪そうな、そして寂しそうなお顔。
「・・・別に。副長には関係ありません」
「どうしたら、お前は素直になるんだろうな」
素直ではなくて意地っ張りな私。
昔からそうでした。ついつい要らぬ意地を張って強がってしまうのです。
でも、反面、すごく寂しがり屋で不安がぬぐえない私もいます。
女遊びの派手な貴方。
貴方が求めているのは身体だけなのかしらといつも不安なのです。
貴方の心の中に果たして私はいるのでしょうか。
いつかはきっと振り向いてくれるというような淡い希望に胸を傷めるのはもう辛いのです。「いつかは」ではなく「今、現在」身も心も包んで欲しい。
「副長が私のことを愛しているとおっしゃってくださったら,素直になれるかもしれません」
お互い、顔が見えないことを幸いに思い切って普段言えない想いを口にしてみました。
・・・って、そんなに驚くことないでしょ。
女子のことなら何でもご存知な貴方なら分かっているでしょう。
「好き」とか「愛している」とか「ずっとそばにいてくれ」とか、そんな言葉を女は欲しいものなのです。
男の貴方は「うわべだけの言葉が何のつながりになる」と身体を求めてきます。
でもね、女は、貴方の言うたとえ「うわべだけの言葉」の一つで命を捨つる事も出来るものですし、その言葉だけでどんな苦境に立たされても笑えるものなのです。
「言わなくても分かるだろ」
口付けをしてくる貴方。
暗いから分からないけれど、きっと真っ赤になっているのでしょう。
「言って欲しいのが女心です」
私も譲りません。
口で言わず態度で示す・・・・それが男の方だとは分かっていますが、たまには甘い言葉を言ってくれても良いではありませんか。島原の方には聞いたこちらが照れくさくなるような台詞をおっしゃっていると永倉先生から聞き及びましたよ。何故、私には言ってくださらないのです。冗談でもいいの。言うことくらい簡単なことではありませんか。
貴方の口からお聞きしたいのです。
もう少し強気な態度でいこうかしら。
「私の身体だけお求めになられているのなら、どうか他の方のところへいらっしゃって下さい」
「・・・俺のことをそういう目で見ていたのか」
怒気が孕んだ口調。手首をぎゅぅっと痛いぐらいに握りしめられます。
「だって、不安で仕方が無いんだもの。女子なら不自由してないでしょう。他の女子には簡単に言える言葉がどうして私にはおっしゃって下さらないのです。」
止めるまもなく涙が出てきました。こんなときこそ泣かないでいたいのに。
こんなとき泣くなんてずるいのに。
貴方がおろおろしているのが気配で分かります。
もともと、言葉に不自由な私達。
特に照れ屋な貴方にこんなことお願いするのはもともと無理だったのかもしれません。
貴方が甘い言葉をくれたのは最初に抱かれた時。
後にも先にもありません。
・ ・・私に甘い囁きをなかなかくれないのは、照れ屋であまのじゃくな貴方なりの求愛と夢見ても良いですか?
その夢を裏切らないでいてくれますか?
涙を指でからめとり、オロオロと困っている貴方。
困っている貴方をもっと見ていたい気もするけれども、何だか気の毒なのでもうやめます。
「この勝負、悔しいけれど、私の負け」
にこりと笑って、体中の力を抜き抵抗を止め、降伏の意を示しました。
「今日のところは、貴方に勝ちを譲ります。無粋なことを申してすみませんでした」
一呼吸おいて、副長の手が背中にまわされます。ただなされるがままにする私。
「でも今度、私が勝った際には甘い言葉と共にただ何もせずぎゅっと抱きしめて下さい。それだけで、私は心休まりますから」
胸元に置かれていた大きな手がのぼり、顔に優しく触れます。
そして、頬に手が置かれ、副長の顔が近づいてくるのを感じます。
口付けされるのかしら。
そっと、目を閉じました。
・・・・・って、あれ?
「・・・ただ、抱けばいいんだな」
副長はそういうと、しっかりと私を抱きしめ直し背中をポンポンと幼子をあやすように叩き出しました。何だか本当に童になった気分。
私の勝ちにしてくださるのかしら。
副長の顔のほうを見上げると,副長は申し合わせたように大きな溜息をこぼしました。
「今夜だけだぞ」
ぶっきらぼうな言い方。貴方の今のお顔、明るいところでみたいなぁ。
「私が寝付くまでお願いします」と甘えると、「この状況は俺には拷問に近い」などぼそぼそつぶやいていましたが、溜息一つつくと、しっかりとした大きな暖かい手で抱きしめてくれました。
「何だか、遠い昔を思い出します。夜が怖くて寝れないとぐずつく私を兄上は私が寝付くまでこうしてくれていました。今夜は、歳三兄上がいるのでよい眠りにつけそうです」
「・・・まいった」
「?」
「俺が兄なら妹のお前に手をだせねぇじゃねぇか」
二人で思わず笑ってしまいました。
ねぇ、副長、私夢見ても良いですか?
貴方の心の中に私がいると夢見ても良いですか?
貴方が私のことを武士としてと女子としての両側面から見てくださっていると夢見ても良いですか?
貴方の生き様をずっと傍で見せて頂けると夢見ても良いですか?
そして、その夢を正夢にしてくださいますか?
こうして二人でいると、とっても暖かいですね。
身も心もほかほかです。
おかげで何だか眠くなってきました。
今夜はいい夢が見られそうです。
私が夢の世界へ行こうとするとき耳元で申し訳なさそうな声が聞こえてきました。
・ ・・・・・悪ぃ。兄を演じるのはもう限界だ。
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