3月25日 鬼天気(晴れのち曇、その後晴れ)
もう春だと言うのに昨日から降り続いた雪は今朝方やみ、庭は一面の銀世界でした。 この時期辛いのは何といっても、水仕事。 真っ赤になった手に「はぁ」と息を吹きかけて、掃除を続けます。 副長も手がかじかむのか、幾度も筆を置いては息を吹きかけたり手をこすり合わしたりしています。 火鉢を副長に寄せてあげると 「寒い、寒い」 と体ごと火鉢の方へ向けました。 手を握り締めたり開いたりしている副長を視界に入れながら、私は掃除を続けます。 あとはここの畳縁と障子の桟を拭けばおしまいです。 毎日拭いているのに縁側に近いからかすぐ汚れてしまうので、いつも念入りに拭いているところです。 「神谷」 背中から声がかかりました。 お茶かしら。 返事をして振り向くと、副長がこいこいと手招きしていたので、雑巾を桶において副長のもとへいき正座します。 「御用はなんでしょう」 副長は火鉢を指差しました。 炭が足りなくなったのかな。 中を覗き込んだ瞬間、ぐいっと手をつかまれました。 いきなりのことで体の均衡が崩れてしまい、副長にもたれかかってしまいます。 「矢張り童だ。この寒い中、水仕事なんかするなんてよ」 「あら、三十路を越えられた副長が御老体なんですよ。火鉢抱えて、若さが感じられないですもんね」 喧嘩を売られたので、御希望通り買ってさしあげました。 でも・・・・・・。 「・・・・・・副長?」 「あん?」 ・・・・・・わざとなのでしょうか。 火鉢を前にして、私の後ろに副長。 副長は私の両手を後ろからぐいっと掴んで、火鉢にあてています。 私の手も暖めて下さるのは嬉しいのですが、・・・・・少し、副長と距離が近すぎる気がします・・・・・。 「あの・・・・・・お気持ちは有難いのですが、まだお掃除が終わっていませんので・・・・・・」 本当は拭き終えたばかりの雑巾を見ながらいうと、聞こえないふりをされました。 後ろにいるので副長の表情は見えませんが、機嫌は悪くはなさそうです。 切り出すなら今でしょうか。 「あの」 「なぁ」 二人の声が同時にかぶりました。 「・・・・・・副長からどうぞ」 首に副長の息が少しかかることを気にしながら尋ねると、お前から言えといわれました。 後ろを振り向くと、話せと目がいっています。 副長は怒っていなさそうでしたので、私はずっと言おうと思っていたことを口に出しました。 「副長。あの、もし宜しければお昼か夕方に一刻・・・・・・いえ、半刻でかまわないので自由時間を下さらないでしょうか」 今日の副長はカリカリしていないし、どこかのんびりと仕事をしているので、ゆとりがあるかなぁと掃除をしている間、ずっと考えていました。 「何故?」 副長の声の調子が急に下がりました。 自由な時間がない副長に小姓の私が自由時間をくれと頼むのは気を悪くするだろうなぁとは思っていたのですが・・・・・。 「用事があるのです。でも、必ず今日でなくてはいけないということではないですから、隊務の方を優先致します」 後ろ向きに頭を下げるわけにはゆかず、火鉢に向かって頭を下げました。 副長は時折、私に自由時間を下さいます。 もっとも、それは副長室でこみいった話をするのでその間追い出されているにすぎません。 副長は黙ったままです。 こういうとき程顔が見えないことが怖いことはありません。 振り向きたいのですが、相変らず手を掴まれているのでそれもままならず。 ただ障子の向こうから聞こえてくる、沖田先生と原田先生と永倉先生が庭先の雪で遊んでいる声だけが室内を響かせていました。 「よかろう」 私の手を掴んでいた大きな手は離れてゆきました。 「今日は格別俺も忙しいわけじゃねぇし、半刻でも一刻でもお前に時間をやるよ」 そう言うと、副長は机に向き直り、また筆を走らせはじめました。 ・・・・・・機嫌を損ねさせてしまったのでしょうか・・・・・・。 しばらく副長の背中を見つめていましたが、何も答えてくださらないので、平伏してすっかりにごった桶の水を捨てに部屋を出ました。 外は一面の雪でした。 最も、道の真ん中は幾つもの足跡で雪は溶けており、歩くには苦労しません。 午後しばらく副長の傍にいましたが、 「用があるならとっとといってこい」 と追い出されてしまいました。 帰営したら謝ってうんとお手伝いをしようと思いながら私は一人、町を歩きました。 足を進めるに従い、懐かしい町並みが見えてきます。 あそこは本屋さんで、其の向かいは米問屋。 あの角をまがったところはいつも仲がいい大工のおじさんと火消し屋さん。 気付かれませんように・・・・・・。 俯きながら足早に歩きます。 銭湯に御菓子屋に質屋に畳屋。 その隣は・・・・・・。 新しく家が建っていました。 私の焼けた家は跡形もなく、そこに私の家があった形跡は何一つありませんでした。 あの日から今日で丁度一年経っているのですから、それが現実とは分かっていても、自分が住んでいた場所がないというのは やはり寂しいものでした。 見知った人が多いので、あれから来たくても露見したら困るので足を運んでいませんでした。 あれから一年経った今日。 改めて私の居場所は新選組にしかないのだと思いました。 帰れる場所はないのだと思いました。 鼻の奥がツンとします。 こんなところで泣いてはいけないのに・・・・・・。 「お兄ちゃん、うちんとこに何か用?」 ハッと振り向くとまだ髪が結えるほどには長くない男の子が怪しむようにして私を見ていました。 このお家の子でしょうか。 「ううん。ごめんね。何でもないよ」 男の子の視線に合わせてしゃがみ、頭を撫でるとその子は「ただいま」と家に入っていきました。 家の中からは楽しそうな声が聞こえてきます。 私はたまらず駆け出しました。 小高い丘の上にある小さな石が二つ。 それが父と兄のお墓です。 父の患者さんだったお寺さんが立派な墓を建ててくれましたが、露見しては困るので髪を剃った日からあの墓へは参れていません。 代わりに、焼けた家の近くに落ちていた石を二つ、墓石代わりにここにおきました。 ここからは、京の町が見下ろせます。 勿論屯所も見えます。 春には桜の花びらが舞い、秋には紅葉が舞う内緒の場所です。 ここは兄と京の町を探検して最初に見つけた私たちの秘密の場所でもありました。 「父上。兄上。あれから一年経ちました。清三郎は元気でやっています」 近くで摘んだ花を傍に置きます。 「もう我が家は無くなっていました。御存知でしたか?」 一番隊にいた頃は毎月、月命日の近い非番の日にここへ来ていましたが、 副長の小姓になってからはそれもかなわなくなってしまいました。 仕方のないことですが、代わりに一周忌の今日はここに来たいと今月に入ってからずっと思っていました。 勝手なことだとは重々承知ですが、帰営後副長になんて言い訳しましょう。 「しばらくこちらへ来られなかった間に、清三郎は副長の小姓になりました。副長は局長よりもお忙しいときが多々あり、 その小姓の私も一番隊にいた頃と比べて随分と忙しくなりました。けれど、体を動かしている方が性に合っているようです」 お墓の周りの雑草を抜きます。 「兄上、最近兄上が夢に出てくださらないので、清三郎はとても寂しい想いをしています。以前はあんなに会って下されたのに・・・・・・」 まだ「壬生浪士組」と名乗っていた頃は毎夜のように兄と夢で会えました。 それが、「新選組」となり、隊務で忙しくなり、敵とはいえ幾人も殺めてから、兄と会えなくなってしまったのです。 小姓となってからは一度も会えていません。 「清三郎は、兄上に嫌われてしまったでしょうか。たった一年だというのに、夢でお会いできないものだから兄上の笑った声、怒った声窘めている声、喜んでいる声、 ・・・・・・清三郎は忘れてしまいそうです」 昔は大好きな兄でいっぱいだった胸に代わりに入ってくるのは沖田先生や副長などの面々。 「・・・・・・兄上。あれから新しく出会った人、生きている人がどんどん胸の中に入ってくるのです。このままでは、いずれ兄上の声や顔を忘れてしまいそうで 清三郎は・・・・・・、清三郎は・・・・・・」 石の上にぽつりと雫が落ちました。 父上には悪いなぁと思いながらも兄上ばかりに話しかけてしまいます。 「『セイ、泣くな』と兄上がたしなめてくれないので、清三郎は泣き虫のままです」 笑ったつもりが、そのまま泣き顔になってしまいました。 父上・・・・・・、兄上・・・・・・、会いたいです。 一度だけでいいのです。 夢でもかまわないのです。 もう一度だけ・・・・・・。 拳をぎゅっと握って声を殺して泣きました。 瞳を閉じて、兄上を思い出します。 うっすらとした輪郭。 たった一年経っただけでこれでは、このままでは兄上が私の中からも消えていってしまいます。 私は必死に兄上を思い描いていました。 「セイ・・・・・・」 兄上の声です。 まぎれもなく、斎藤先生の声でもなく本当の兄上の声。 「兄上」 嬉しくてそう呼びかけると一生懸命思い描いていた兄上は消えてしまいました。 バサッ! 後ろの方にある木の雪が落ちた音に驚いて振り向くと、そこにはいるはずもない人が立っていました。 私は涙を拭くことも忘れて立ちすくみます。 「兄上!」 もっとよく見ようと瞬きしてみると、それは兄上ではありませんでした。 「ふっ、副長・・・・・・?」 副長は罰の悪そうな顔をしてそっぽを向きましたが、しばらくしたらこちらに近付いてきました。 「あっ、あの・・・・・・」 急いで涙を裾でごしごし拭きます。 副長はじっと目の前の二つの石を見ていました。 それが何だとは問われませんでした。 「今日が、その日だったのか?」 「・・・・・・いつからいらしていたのですか?」 けれど、副長は答えてくれませんでした。 あの時、雪が落ちなければ、ずっとあそこから私を見ていたのでしょうか。 「 」 副長がお墓に向かって兄上に向かってそう言いました。 私は驚いて声が出ません。 「せっかく暇ができて妓の一人や二人相手にしようと歩いていたら、お前が細い道に入っていくから、ついつい仕事癖で跡をつけちまったじゃねぇか。 俺の貴重な休み時間を奪った罪は重いぞ。明日、芝居見るの付き合え」 一方的にそういうと副長はもう一度お墓を見てから踵を返しました。 「セイ」 兄上の声がもう一度聞こえた気がしました。
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