憎しみからは何も生まれないという。
事実そうだと思っていた。
相手を憎んだ所で自分に利が生じるわけでもなく、返って己の徳を下げる事にしかならないと。
きっかけは、あった。
道場の先輩ともいえる山南が自分の知らぬ間に処刑された。
自分が江戸で隊士を募集している間の出来事だった。
最後に山南の顔を見たのは、いつの日だったか。
いつも穏やかな山南はその時も見慣れた笑顔で送り出してくれたのを覚えている。
後悔ばかりがつきまとう。
近藤、伊東と一緒にあのとき京へ帰っていたならば、違う結末になったかもしれない。
山南をとどめる事ができたかもしれない。
もしくは共に脱走し、二人一緒に咎を受けられたかもしれない。
この気持ちが「憎しみ」に値するか否かは正直分からない。
何故なら今まで誰かを憎んだことなど一度もないからだ。
憎まれはしただろうが、憎んだ事はなかった。
もし、これが「憎しみ」というものであれば、
「憎しみからは何も生まれない」という言葉は偽りだと思う。
「憎しみ」からは「哀しみ」が生まれるのだ。
一度疑ったら猜疑心ばかりがつきまとう。
何故、自分だけを江戸に残したのか。
何故、文で山南のことを報せて来なかったのか。
何故と自問し、答えが出ない日々が続く。
そうして、漸く答えが見つかった時には、「憎しみ」と「哀しみ」を抱いていた。
抑えきれない感情だけが理性を凌駕する。
遠い江戸で近藤達に寄せた信頼は「憎しみ」の前に脆くも崩れ去り、後には「哀しみ」しか残らなかった。
伊東から行動を共にしないかと幾度か誘われたが、
勤皇とか攘夷とか国事については正直あまり心を動かされなかった。
山南は脱走した咎により切腹させられた。
ならば、相手が伊東率いる十をゆうに超える一派が離隊しても、局を抜けた咎により
罰を下すのか。
近藤、土方がどう動くのか見てみたくなった。
ただ、それだけだった。
彼らと行動を別にした日。
近藤の目が土方の視線が、少しばかり煩わしく感じた。
永倉の言葉が原田の口調が、少しばかり煩わしく感じた。
未練を断ちきり思うところなく憎むには、彼らとの関係が深すぎたのだろうか。
以後、幾度か町で擦れ違った彼らは今までどおりの様で、そうではない様で。
互いの間に生じた隙間は広がりもせず、埋まりもしなかった
伊東惨殺の知らせが入った時、嗚呼ついに自分も彼等に殺されるのだと思った。
芹沢の時も、山南の時も、自分は蚊帳の外だった。
そして、今宵は己が殺される。
つまるところ、そういう関係でしかなかったのだ。
遠くに見える横たえた伊東の屍は、ただの物にみえた。
商家の間にうずくまっている沢山の気を感じる。
闇雲に走る自分に横から男が飛び出してきた。
反射的に刀を振るう。
「何故、来た」
永倉と原田だ。
「あからさまな罠じゃねぇか。お前がこの場に来ちまったら、俺達はこうせざるを得ないんだ」
キン!
口では表すことのできぬ感情をのせた双方の刃は限界までしなる。
つばぜり合いをしながら、永倉が押さえるような強い力で路地裏に誘導する。
「行け」
鋭くつぶやいた。
原田がこちらに槍を向けつつ、周りの視界から自分をさえぎっていた。
「平助!」
永倉が一瞬力を緩めた。
永倉と原田の顔は最後に見た山南の笑顔と重なった。
刀を返すと、路地裏に足を向ける。
刹那、背中に熱さを感じた。
倒れる寸前に目に映ったのは、何かを堪えるように腕を組んだ土方の姿。
不思議と「憎しみ」は消えていた。
今まで抱いていたのこの気持ちは矢張り「憎しみ」ではなかったのか。
もしかすると、現実を受け入れられず逃げている自分に対しての「嫌悪」だったのかもしれない。
どうしようもない「哀しみ」だけが心を支配する。
山南もこうして最期にこの男のこの顔をみて逝ったのかとはっきりしない頭で何気なしに思った。
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