視覚より先に聴覚が冴えた。
最初は小さく、そして段々と確実な言葉となって耳に入ってくる。
胸が張り裂けそうな悲しい声。かすれた声。
土方はごろりと体の向きを変えると、声のしている方向へ耳を傾けた。
「・・・・・って。」
それはつい立の向こうから聞こえてきた。
今、副長室では部屋の主の土方と小姓であるセイの二人が日々を過ごしている。
どうして、セイが土方の小姓となったのか、その理由は唯一つ。セイが女子だということが土方に露見したからである。
セイの身の安全の確保というのが小姓に命じた際の理由だが、それだけではないということを土方は嫌というほど自覚していた。
沖田と仲良くしているのを見れば、腹が立ち。
斉藤と談笑しているのを見れば,腹が立ち。
永倉や原田達にちょっかいを出されているのを見れば、腹が立ち。
いつからか、セイが自分以外の者といるだけで心穏やかではなくなる自分に気付いていた。
自分の手が届く範囲にセイを置いておきたい。
そうして小姓に命じてから数ヶ月。
セイはそんな自分の心にはとんと気付きもせず、日々仕事をこなしていった。
憎まれ口をたたきつつも心配性なほど、自分を気遣ってくれる。
「御飯は食べられましたか」
「睡眠はきちんととられましたか」
「肩、こっていませんか」
照れ臭さもあり、やかましいと声を張り上げる自分に「ったく、もう、心配しているのに」と頬を膨らませながらも、案じてくれるその心が嬉しかった。
そんなセイの寝床から苦しげな声が聞こえてくる。
土方は勢いよく起き上がると、ついたての向こうへ移動した。
「・・・母上・・・父上・・・兄上・・・」
掛け布団が小さな手でギュッと握り締められている。
家族の夢を見ているのだろう。
「・・・兄上・・・待って。お願い、待って。行かないで」
うわごとのように繰り返される悲痛な言葉。
「セイ・・・いい子にするから・・・。もう・・・叱られるような事はしないから・・・。」
右手をゆらゆらと宙にかざす。
「兄上・・・・。待って・・・。セイも一緒に連れてって・・・。・・・もう、一人は嫌・・・お願い・・・お願いだから・・・一緒に連れてって・・・」
つぅと頬を雫が伝う。
ぬぐってやろうと土方は懐に手を入れるが、寝起きの自分に手ぬぐいなど持っているはずはなく。
代わりに裾でそっと涙を拭いてやる。
宙にかざされた細く白い手をそっとしかし力強く握ってやり、布団の中に戻してやった。
いつも怒鳴って、反抗して、生意気なセイ。
そんな彼女とは裏腹にこんなにも弱弱しい、はかなげな姿。
胸がつかまれたみたいに痛かった。
土方の気配に気付いたのか、セイは寝返りをうちモゾモゾとし出す。
・・・こんなときの寝起きは誰だって見られたくないものだろう。
土方は後ろ髪をひかれつつもその場を離れ、顔を洗いに井戸場へ向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
土方が洗顔を終え、副長室に戻った時、セイは二人の布団を押入れにしまっている最中だった。
「副長、おはようございま〜す!!」
顔だけ振り向かせ、セイは敷布団を押入れに入れる。
そこには、先程までの悲痛なセイはどこにもなかった。
「今日も、良い天気になりそうですね」
洗濯物の干しがいがありそう・・・そういって、次々と布団を片付けてゆく。
土方は近づいてゆき、セイの足元に置かれている二つの枕をセイが最後の掛け布団を閉まった後にその布団の上にのせた。土方は、背の低いセイがいつも飛び上がるようにして枕を片しているのを知っていた。
「あっ、助かります。ありがとうございます」
礼を述べるセイはにっこりと微笑む。そして、罰が悪そうに俯いた。
「いつも副長より起床が遅くてすみません。早く起きようとは思っているのですが・・・」
「まだ、起床の時間には間がある。それまでに起きれば問題ないさ」
「すみません。そう言って頂けるとほっとします。副長、早起きなんですもん」
「そりゃぁ、どこぞの童とは違うからな。童には睡眠が大人より必要なんだろうよ」
「もう、また童って言って。私だってもう元服してもおかしくない年頃なんですよ。つまりは大人です。・・・この調子だと、私がお年寄りになっても副長には童と言われそうです。」
顔をそむけるセイを、そういうところが童というんだと土方は笑いをこらえながら見つめていた。
「顔、洗ってきます」
洗顔道具を持って外へ向かおうとするセイ。
だが、その足がとまる。
「あの・・・つかぬことをお聞きしてよろしいですか」
セイがくるりとこちらに振り返り、土方のほうを向いた。
「何だ」
と、言う土方にセイはなかなか次の言葉を発しない。
「何だ」
再度問い掛けた土方の言葉にセイは言葉を選びながら口を開いた。
「今朝・・・私・・・・あの・・・妙な事を口にしていませんでしたか」
うつむきながらそう問い掛けるセイの目は今朝の名残かうっすらと赤い。
おそらく、家族の夢のことを指しているのだろう。
いつも意地が悪いだの鬼だの言われる土方だが、からかって良い事と悪い事くらい分かっている。人の心を傷つけるようなことは言わない男である。
「・・・別に。」
「それなら、良かった。」
ほっと胸をなでおろしたセイの赤い目が痛々しくて、ついこんな言葉をかけてしまう 。
「何だ、何だ。神谷。いい夢でも見たのか?あっ、分かった。俺の夢でも見たんだろう。どうだ、夢の中でも俺はなかなかの美男子だっただろう。しかし、お前の夢の中まで俺が出てくるとは・・・。まいったな。どうせ惚れられるのなら男より女の方がいいなぁ。ついでにいうと童は男だろうが女だろうが対象外なんだが・・・」
ニヤニヤとからかう土方の言葉にセイの眉がこれ以上ないくらい釣りあがる。
「っんなわけないでしょ!!自惚れもいい加減にして下さい!何寝ぼけたことおっしゃっているんですか!第一、私には明里さんという素敵な立派女性がいるんだから。どこかのたらし暦何十年の人の夢なんか死んでも見ません!洗顔してきます!!」
真っ赤な顔でドスドスと廊下を踏み鳴らすセイの後姿を「馬〜鹿」と障子にもたれながら男は小さくつぶやいた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
お昼も過ぎ、のどかな時間が屯所内に流れる。
庭では、セイの干した洗濯物が風に身を任せていた。
残暑もなくなり、だいぶ過ごしやすくなった今日この頃。
良い空気が、障子を開けた副長室内にも入ってきていた。
その心地よさにしばし土方は、筆を休め庭をみやる。
空は高く澄みきっており、茶色の鳥が空を舞っていた。
雀よりは大きいあの鳥は何の鳥だろうか。
そんなことをとりとめもなく思っていた土方の耳に甲高い声が入ってきた。
「兄上〜!!兄上〜!!」
そちらを見やると巡察帰りの斉藤にセイが何かを手渡している。
汗を拭く、手ぬぐいだろうか。
何を会話しているかまでは分からないが、会話の内容よりセイの表情ばかり気になっていた。
いつもなら、ぐっと人知れず腹が立つような斉藤とセイの談笑している場面。
だが、今は不思議とそんな気は起こらない。
「兄上」
セイは斉藤のことをそう呼ぶ。
さすがに人前ではあまり呼ばぬが、二人になったときは親しみを込めてそう呼んでおり、斉藤もまたそれに応えている。
「斉藤先生、本当に亡くなった兄上にそっくりなんです。特に声が。あの落ち着く優しい声がうり二つで。だから、斉藤先生とお話するときはそっと目を閉じてみるんです。斉藤先生がお優しいのを良いことにすっかり甘えてしまっているのは十分に分かっているのですが」
斉藤を何故「兄上」と呼ぶのか。
そう尋ねた自分にセイは照れくさそうにそう応えた。
「兄」という言葉に土方は久しぶりに懐かしさを味わった。
両親の顔は覚えていない。
いつもそばにいてくれたのは、「兄上」「姉上」そして、「義兄」だった。
「トシよ・・・。いってぇ、お前は誰に似たんだか・・・」
自分が何か仕出かすと、ため息混じりに出されるのは決まってこの言葉。
だが、周りがなんと言おうと、最後は必ず味方になってくれた。
末っ子という特権もあったのだろうが、今から思うと随分とかわいがってくれたものだ。
上京する際も、
「お前は、もういい年した大人だ。心配なんぞしてねぇよ。しっかりやってきな」
そういいながらも、色々と細々としたものまで整えてくれる兄姉の姿に妙にこそばゆさを感じた。
そんな家族の温かみは、多摩から遠いこの地へ来て、命の取り合いをするようになって、ようやく感じ取ることができた。
つくづく思う。離れないと、失わないと分からないものはあるのものだと。
庭では、斉藤とセイがまだ会話を続けていた。
セイが両手の人差し指を頭の後ろから出し、鬼の格好をしている。
どうせまた「鬼副長」のことでも言っているのだろう。
斉藤が自分の視線に気付いたのか、副長室を指差した。
それにつられて振り返ったセイと目が合う。
ここぞとばかりに睨んだ自分にセイは両手を口にあて、後ずさりし物凄い勢いで斉藤を連れて去っていった。
・・・後でとっちめてやる・・・そう思いながらも、セイのあまりにも可愛らしい動作
に土方は知らずに笑みがこぼれた。
・ ・・お前の兄さんの気持ちが分かる気がするな。きっと、ほっとけないほどのお転婆
で親泣かせならぬ兄泣かせだったんだろうよ。だが、それだから気になって仕方がねぇ。何かあると気が気でねぇんだ。結果、妹のお前に自然と甘くなる。どうせ、お前のことだ。小ぃせぇ頃は、そんな兄上の嫁になるなんていう可愛い夢でも抱いてたんだろうよ。・・・・・ ・
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あぁ、そうだ。そろそろ風鈴をはずさないと」
夜、副長室で、セイは土方のお茶を注ぎながら、ぽつりとつぶやいた。
昼間の自分の失態を土方の独特のにやり顔と嫌味な言い回しでコテコテに仕返しされた後。先程まで、言い争っていた二人はどこへやら、今はとても静かな時間が二人に流れていた。
「風鈴?まだ良いじゃねぇか。漸く心地よい風が吹き始めたんだからよ」
手渡されたお茶をすすりつつ言う土方に、
「そうですか、そうおっしゃるのでしたらもう少しつけたままにしておきましょうか、豊宝宗匠」
とセイはにっこりと笑い返す。
土方は内心ムッとしたが、不思議といつものように喧嘩には発展しなかった。
チリリン・・・チリン・・・チリリリリンン
風鈴の鈴やかな音が二人を素直にさせているようだ。
しばし、風鈴の音と、土方が動かす筆の音が部屋を支配する。
セイは散らばった書類をまとめ、ふと障子を少し開けた。
晴れた空には綺麗なお月様。
もう少しで、望月である。
「ねぇ、副長、お月様、きれいですよ。」
「もうすぐで満月だったか」
「はい、兎が餅つきしていているのが見えますよ。」
「・・・・・・」
「あっ、今、また『童』と思ったでしょう。私じゃなくてこれは、沖田先生がおっしゃっていたんですよ。先生、小さい頃、兎がついたお餅ってどんな味なのか食べたいと思ったことがあるんですって。それでね、ある人にそのお餅をとってくれないかって頼んだらしいんです。」
「お前もお前なら、総司も総司だ。奴のことだ。どうせ、近藤さんにでも頼んだんだろうよ。近藤さんも総司には甘ぇからな」
しかし、セイはその問いには答えず話を進める。
「そうしたら、ある人が『あれは兎の分の御餅だから、横取りしちゃいけない。』って言われたそうなんです。そして、沖田先生の分は今度仲秋の名月の時、道場のおかみさんに作ってもらいなさいって言われたそうなんです。」
「ふん、如何にも、近藤さんが言いそうなことだ。」
「・・・そのある人とは、今、私と一緒に月を眺めて懐の発句帖をこっそり開いた人ですよ」
・・・お忘れでしたか?・・・そう言うと、セイはくるりと振り向き、座布団の下に何かを隠した格好になっている土方に笑みを向けた。
「一体、どんな句が浮かび上がったんです?是非、小姓の私にもお見せください」
目を輝かせ、そして、座布団の下をじ〜っと凝視するセイに土方は顔を赤らめる。
「くだらねぇところばっかり、総司に似やがって。最初,お前を総司に世話係を頼んだのは俺の失策だ」
「そうですか、でも、沖田先生は、私は副長に似ているってよくおっしゃいますよ」
「どこが似ているというんだ!」
「そうやって、すぐムキになるところらしいです」
クスクスと笑うセイに土方はそっぽを向く。
今日のセイは何だか違う。
いつものようにつっかかってこないし、妙に素直なところがある。
「ねぇ、副長」
機嫌を直してくださいと手渡されたお茶を荒々しく受け取りながら不承不承土方はセイの方へ体を向けた。
「お願い事があります」
どこか恥ずかしげに言うセイに不思議さを覚えながらも先を促す。
「私が良いというまで、目をつむっていて下さらないでしょうか?」
「・・・は?」
「だから、私が良いというまで、少しの間目を瞑っていて欲しいのです」
「目をつむってどうするんだ。どうせ、お前のことだ。俺の座布団の下にある発句帖をその間に取り出そうとでもいうんだろう。誰がその手に引っかかるか」
勢いまく土方の言葉にセイは一瞬大きく目を開け、そして意外だと言わんばかりにケラケラ笑い出す。
「・・・ふふふっ。違いますよ。副長も疑り深い方ですねぇ。ねぇ、お願いですから、目を閉じて下さいよ」
いきなり目を閉じよと言われても閉じられるものではない。
まごつく土方に早く早くとセイはせかす。
「何か悪さしやがったら、ただじゃおかねぇからな」
そう睨みつけた後、土方はそっと瞳を閉じた。
・ ・・何をするつもりなんだ。神谷のことだ。何かしでかすに決まってる。何だ。何をしようっていうんだ・・・
土方の胸中にそんな疑問がぐるぐると回りだした頃、爽やかな風が開け放たれたまま
の障子から吹き込み、風鈴を揺らした。
チリリン・・・チリン・・・
その刹那。
ひんやりとした小さな手が己の手をつかみ、上へ上げてゆく。
驚いた土方が思わず目を開ける。
目を閉じたセイが土方の手を頬へ持ってゆき、そっと触れてゆくのが視界に入った。
まるで体温を確かめているような仕草。
「生きているって・・・・・・こういうことですよね。」
そして、そっと土方の胸に己の耳を近づけた。
自然、二人は寄り添う形となる。
「生きるって、この音を刻むということですよね」
独り言のようにセイはつぶやく。
土方の衣を通して聞こえる、力強い鼓動。
トクン・・・トクン・・・トクン・・・。
一定のリズムをもって聞こえてくる命の鼓動。
それが、通常よりもいささか早く刻まれていることをセイは知らない。
土方はそっと薄目を開けて、己の胸元にうずくまるセイを見下ろしていた。
月代が痛々しいが、さらさらとした艶やかな黒髪。
襟からみえる細い項。
しばらく呆然とする土方にセイの言葉が耳に届く。
「・・・亡くなった者は決して帰ってこないんだもの。私が、その分しっかり生きなくちゃ・・・・・・」
・ ・・あっ。
土方は急に目が覚めた思いだった。
今朝方セイが見た夢・・・家族が自分のもとを去ってゆく夢。
生と死の狭間で暮らしているこの日々、少しでも自分の心が弱いと死への道にひきずり
こまれてしまう。
誰もそのことを案じぬ者はいない。
普段,明るく、活発で元気な印象のあるセイとて然りである。
セイのことだ、今朝見た夢のことは誰にも話さず、そっと一人で仕舞い込んでいるのだろう。
人は弱い生き物というが、その弱味を見せられる人と強がってしまう人がいる。
自分もセイも後者の方であろう。
・・・成る程、俺とお前は似ているかもしれねぇ・・・。
死への道に歩を進めぬよう、生ならではの温かみにふれ、己を保とうとするセイに土方は何も言わず、再度瞳を閉じた。自分にもセイの温かみが薄い衣を通して伝わってくる。
しばらくすると、懐に感じる温かみが離れていった。
残念だと思う自分に土方はそっと苦笑する。
「御協力有難うございました。やっぱり、副長は温かいですね」
「当たり前だ。生きていて冷たかったら、えらいことだ」
「ふふふっ。そうですね」
「もう、いい加減障子を閉めろ。隙間からどこぞの参謀に入り込まれてはかなわん」
セイは、笑って、障子をそっと閉めた。
・・・・・・副長は、心の中も暖かいですよ・・・・・・。
伝えたかった言葉をセイは宝物を秘めるように静かに己の心にしまう。
何事もなかったかのように筆を進めだす土方と、書類を整理するセイを風鈴は
優しく見守っていた。
・ ・・チリン・・・チリ・・・チリン・・・
そっと揺らぐ風鈴の音はいつもは意地っ張りな二人を素直にさせる魔法の音だったのかもしれない。
(おまけ)
その日の夜・・・・。
スゥスゥと健やかな寝息を立て無邪気に眠るセイとは裏腹に、土方は寝付けずにいた。
先程、セイが胸元に耳を近づけたときの感触が忘れられないのだ。
「・・・・ちくしょう・・・・」
ぼやきながらも何とか眠ろうと強く目を閉じる。
翌朝、少し目が赤い土方の身をセイは具合が悪いのではと心配したが、その原因が自分にあるということは全く気付かない。
いつもは総司のことをさんざん野暮というセイだが、その実土方にとっては自分を野暮な対象と思われていることを知る由もなかった。
「・・・はぁ・・・」
土方の口からは覇気の無いため息がもらされた。
|