ここ新選組屯所は、荒くれ者の男所帯。
私闘は法度で禁じられているが、喧嘩は禁じられていない。
あくまで喧嘩ならば腹は斬られぬと隊士達による喧嘩は耐えなかった。
やれとっておいた御菓子を食べられただの、やれ残しておいたおかずをとられただの。
やれ愛しの君がつれないだの、やれ愛しの弟分が慕う野暮天が憎いだの。
・・・・・・正確にいうと、平隊士達というよりは幹部らによる争いごとが多い。
最もこれらは喧嘩というよりもじゃれ合いに近いので、平隊士達も一緒になってそのじゃれあいに参加することもあるのだが、
ある秋晴れの日、世にも珍しい喧嘩が起こった。
※
「何度言えば分かるんだ!かっちゃん!」
「落ち着けって、歳」
局長室から響き渡った声に隊士一同、皆、動きが止まる。
「大体、昔っからあんたはそうなんだ」
「だから、そう怒ることないだろ」
幹部それも局長と副長という最高幹部職二人が腹の底から出す大声で屯所中が揺れる。
あまりの怒号に近頃新しく入隊してきた新米隊士は思わず目に涙を浮かべ、隣にいる古参隊士に慰められる姿があちらこちらで見られているなど知るよしもない近藤と土方はなおも睨み続ける。
もっとも、土方が一方的に怒っており、近藤は慰め役に回っているのだが、相手の声が大きいと自然己の声も大きくなる。
二人とも剣で鍛えた肺活量を余す所なく用いなおも言い合いを続ける。
その二人を止めることが出来るのはこの男しかいなかった。
「近藤局長!土方副長!何事です。隊士の皆さんが心配していますよ」
バンと障子を開けて飛び込んできた総司の登場に何かを言おうとしていた土方の口が閉じる。
役職名での呼びかけは言外に「局長、副長らしくない言動ですよ」と咎めの意も入っている。
「ふん!」
総司を片手で突き飛ばすとドスドスと土方は部屋を去っていった。
「近藤先生、一体どうされたのです?」
心配そうに問いかける総司に罰の悪そうに鼻の頭をぽりぽりかく近藤。
「いや、何ていえばいいか。何をどういえばいいか・・・・・」
「私にできることがあったら・・・・・・。私はお二人が仲たがいしているところをみるのが苦手で・・・・・・。久々に先生の大きなお声が聞こえたから何事かと思いましたよ」
「悪かったな。俺のことより、神谷君の方を頼む」
「え?」
近藤の目線に合わせて、部屋の隅をみるとお盆を抱えたまま見事に石化したセイ。
「お茶を持ってきてくれたところにちょうど歳が怒り出してな。さっきから微動だにしないんだ。大丈夫だろうか」
「神谷さん、神谷さん」
軽く肩を叩いても返事がない。
「神谷さん神谷さん」
少し強く肩を揺らすと、漸く目をぱちくりと動かした。
「・・・・・・沖田・・・・・・先生・・・・・・?」
「びっくりしましたね。でも、もう怖い人はいませんから大丈夫ですよ」
ぽんぽんと肩を優しく叩いてやるとセイはひっくひっくと泣き出す。
「うわぁ〜ん。沖田先生。怖かったです。あの形相。鬼を通り越していました。閻魔様も真っ青の副長で・・・・・・」
「よしよし」
総司にも似たような思い出なら江戸の頃にある。
あの時の土方も手のつけられぬ程の怖さで一月は土方の近くに寄れなかったぐらいだ。
正直男の自分でもあれは怖かった。
出なくなったはずの涙がちょちょぎれた。
藤堂は神仏に祈り、永倉は旧友に会ってくると道場から逃げ、あの原田が食欲減少した。
それほど怖かったのだ。
セイにはさぞや刺激が強すぎたであろう。
セイを慰めながら、総司は苦い思い出を思い出していた。
※
障子の前でセイは深呼吸する。
いつまでも総司の胸の中で泣いているわけにはいかない。
かといって、小姓である自分の部屋はこの副長室。
中からは土方の気配がする。
はふ・・・・・・。
再度深呼吸してから、セイは口を開いた。
「神谷です。お茶をお持ちいたしました」
無随意に震える唇。
意図せず震える声。
室内からは返事がない。
でも、人影がみえるので、在室なのは確かである。
カタカタカタ・・・・・・。
両の手が震えて、障子をスーっと開けることが出来ない。
中に入るとそれはそれは見た目にも御機嫌うるわしくない鬼副長が脇息に寄りかかっていた。
「あ、あの・・・・・お茶です・・・・・・」
震えながらお盆からお茶を土方の傍に差し出す。
だが、手の震えが止まらず湯飲みからお茶が左右にこぼれる。
ゴト。
「あち!」
茶たくから湯飲みが落ちてしまい、不幸にもそれは土方の膝を濡らす結果となった。
セイの青白い顔が更に青くなる。
「も、申し訳御座いません!!」
素早く手ぬぐいで濡れた箇所を拭くセイ。
「あぁ、こんなところまで濡れてしまってごめんなさい。ごめんなさい」
膝から大腿にかけて広く濡れてしまいセイは丁寧に拭いてゆく。
必死になっているセイはなかなかきわいどいところを拭いていることに気付かない。
「もういい!」
土方がセイの手を払いのけ、「着替える」とすくっと立つ。
ごめんなさいと頭を下げ、セイは土方の着替えを手伝う。
いつものように袴の紐を臍の前で結ぼうと思うのだが、震えの止まらぬ手では上手く結べない。
「貸せ!」
セイの手を再度払いのけ、自分で結びなおした土方はどすんといつもの定位置に座る。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「神谷、俺は男のくせに泣く奴は好かん」
土方はセイが女子であることは知っている。
知ってはいるが、だからといって特別扱いしようとは思っていない。
そうしてくれるなと露見した折にセイが望んだからでもある。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
う〜としかめっ面をして何とか泣き止もうと顔を赤らめる様が幼さを感じさせる。
ふうと一息吐くと土方は口を開いた。
「俺が怒るのなど、しょっちゅうだろうが。何故、此度はそんなにも怯える」
「何故って・・・・・・」
セイは正直にいっていいのか迷う。
まさかだって耳をつんざくような大声に鬼や閻魔様を通り越した形相だったんだものとは言えまい。
「副長があそこまで感情を露にされるのも珍しいことでしたので、些か驚きました。しかも相手は近藤局長でしたから」
「何に腹を立てたか気になるか?」
気になる。
だが、これまた素直に、はい気になるので教えて下さいというのも気が咎められる。
他でもない近藤局長と言い合っていたのだ。
何かとても二人にとっては重要で大切なことを口論していたのだろう。
「お二人の間でのことですから・・・・・・。私は・・・・・・副長がいつもどおりの副長に戻って下されば嬉しいなあと思います」
漸く手の震えが収まってきたが、まだ土方の周りを囲む怒気が怖い。
「大体、近藤さんが悪いんだ」
トントンと人差し指で脇息をたたく
もしかして、話を聞いて欲しいのかしらとセイは思い、そのまま土方の口から次の言葉が放たれるのを待った。
「俺は誰よりも近藤さんを慕っているのに、知っているのに、なのに、あの野郎」
・・・・・・何だか痴話喧嘩みたいとは口が裂けても言えなかった。
「何で、伊東なんかの言うことばかり耳を傾けるんだ!!!!!」
シーン
副長室の室内に一時の静寂が訪れる。
「・・・・・・そんなことでお怒りになられていたのですか?」
「そんなこととは何だ!そんなこととは!!」
「だって、そんなことではないですか!何を今更そんなこと」
「そんなことというな、俺にとってはそんなことではねぇ」
「私にとってはそんなことですよ。きっと他の方にとってもそうですよ」
「そんなこと、そんなことってうるせぇ!!」
先程までの怯えていたセイはどこへやら、土方と同じぐらいの声でやり返す。
いや、セイの方が声が通るからそれ以上か。
「大体、何をそんなに怒っていらっしゃると思ったら。何だか近藤局長がお可愛そうです。あぁ、怯えて損した」
「あん。何だ。お前、近藤さんの味方なのか?」
「何を今更、副長よりも局長の方が上の方ですよ」
「へん、俺よりも局長を慕うその心はあっぱれと言ってやる。だがな、お前の直属の上司はこの俺だ。それこそ目上の者に対して
その態度は何とかならんのか!」
「確かに副長とは身体的年齢は一回り以上も異なりますが、こういうときの副長の精神的年齢は失礼ながらそれほど開きがないのではと思っておりますので」
「あんだと!!」
「何ですか!!」
今度は副長室から響いてきた怒号に、新米隊士はびくびくと「父上、母上、お嫁に行った姉上、怖いよぉ」と震え、古参隊士が
「これも修練だと思え。精神的修練だ」と慰め励ます姿が屯所内各所でみられだす。
「大体、局長が副長と参謀とどちらに重きをおかれているか、心を寄せているか、火を見るよりも明らかではないですか」
「・・・・・・」
「全くそんなことも分からないなんて、副長らしくな・・・・・」
「そうか。そうなんだ。お前の眼から見てもそうなんだな」
「・・・・・・ん?」
「どうせ俺は伊東が鼻にかけてる学はねぇよ。隊士の間では奴の方が人望もあるしよ。どうせ、俺なんか俺なんか・・・・・・」
しくしくと泣き出した土方にセイは思わずギョッとする。
「何をおっしゃられているんです。違いますって。だから私が申したかったのは、局長は副長のことを信頼なさっていますと・・・・・・」
「いいんだぜ、神谷。気を遣わなくてよ。どうせ俺は昔からかっちゃんを困らせるようなことしかしてねぇよ」
さめざめとなく土方。
「・・・・・・副長。もしかして、もしかしなくても酔っていらっしゃいます?」
「酒なんか飲んでねぇ!!」
泣いていたかと思うと怒り出す。
もうセイには何が何だか分からなかった。
「どうせ、お前も俺の小姓など命じられたからいやいやしているんだろ。総司の下のほうが良かったんだろ。そうさ、俺は嫌われ者さ」
「ちょ、ちょっと何をおっしゃられるのです。私は別にどこの部署でも一隊士として働けるのならばかまいません。それに女子の私を男と認めて在籍を許可してくださったのは副長ではないですか。その副長をどうして私が嫌うのです?」
「・・・・・・嬉しいこといってくれるじゃねぇか」
ガバッ
土方はいきなり抱きつき、セイの胸に顔をうずめる。
「ちょっ、ちょっと副長」
体を離そうとするが、逆に強く抱きしめられる。
このまま勢いに乗って押し倒されそうでセイは気が気でない。
「副長、落ち着いて下さい」
ふと触れた土方の顔が異常に熱いことにセイは気がついた。
「副長!お熱が出ていますよ!」
土方が変なのは熱にうなされてのことなのだろうかと思いつつもセイはなおも土方を放そうと必死に体を動かす。
そのときだった。
「歳。俺だ。」
「土方さん、私です。沖田です」
と近藤と総司が湯飲みを紙包みを持ってやってきたのは。
二人はセイに土方が抱きついている状況をみて、固まる。
「・・・・・・お邪魔しました。」
「違います!!誤解です!!」
とセイはあらん限りの声で叫んだ。
※
「酒まんじゅう??」
「えぇ。土方さん、何故か酒饅頭を食べるとだだっ子になっちゃうんですよ。お酒に酔うんですかね?でも普通にお酒を飲んでる分にはこうならないのですが・・・・・・」
そういいながら、素早く土方に紙包みを飲ませる総司とてきぱきと布団をしく近藤。
「えっ、えっ?」
状況が飲み込めないセイに総司が説明する。
「もうこうなると手がつけられませんから。これ、睡眠薬です。一度寝れば元通りの土方さんになりますから。あぁ、もう意識のない人を運ぶのは重いですねぇ」
土方を近藤の敷いた布団に運ぼうとするがよろける。
「私、お手伝いします」
とセイは手を差し出すが、
「あぁ、いいですよ。重いですし。近藤先生。お力貸して下さい」
と二人でえんやこらと土方を寝かし、ふうと一息ついた。
「悪いな、神谷君。驚かせて。歳な、実は酒饅頭を食べると不可抗力になってな・・・・・・。一度江戸でも似たようなことがあったもので、歳には酒饅頭を食わせないように気をつけていたのだが、どうも昼食べたらしくてな」
「はぁ・・・・・・」
セイには返す言葉がない。
あの鬼副長が、酒饅頭一つでこうなるなんて。
信じがたい事実である。
「神谷さんにはお小姓さんになられた時に言っていればよかったんですけど、でも土方さんが酒饅頭を食べさえしなければ害はないですし
、私たちで気をつけていればいいかなぁと思っていまして」
「だから、お昼のお茶菓子の時間には毎日副長室に来られていたのですか?確認の為に」
「はい」
しおらしくいう総司に「それは嘘だと思います。お菓子があると素で喜んでばくばく召し上がっていたではないですか」と心の中でつぶやく。
「神谷君。どうかこのことは内密にしてくれないか。その・・・・・・歳は副長だろ。このことが広く知れ渡ると副長としての威信が地に落ちるというか隊内の士気にかかわるというか・・・・・・」
「はい、他言致しませぬ。お約束いたします」
「ふう。ありがとう。あっ、そうそう。歳が起きてからのことだけどね。歳は酒饅頭を食べてからの記憶がないんだ。我々が来るまで歳から何かきついことや不条理なことを言われたかもしれないけれど、それは決して害意あってのことじゃないから、わかってやってくれ」
「はい」
「では、私たちはこれで。どうもさっきの一件で局長と副長が不仲だという誤解が隊に広がっているらしくて少し話をしてくるよ。総司お前も来い」
そういうと近藤と総司はあとはよろしくと副長室をあとにした。
未だに信じられない。
酒饅頭で、こうなるとは。
でも、土方の寝顔をこうじっくりと見るのは初めてで、ついつい見入ってしまう。
寝顔は以外と童顔だとセイは思った。
いつもは皺の寄っている眉も穏やかで怒ると三白眼になる目も閉じられている。
「猫にまたたび、副長に酒饅頭か」
くすりと笑いがこみ上げる。
「私は貴方のもとだからこの小姓をお受けしたのですよ。女子に百戦錬磨の貴方でもまだ私の心は見抜いて下さっていないのですね」
とセイはそっと口付けた。
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