「先生、やっちゃんの日本語、変です」
それは、小学校二年生のある国語の授業だった。
教科書に載っていた灰谷健次郎作「ろくべぇまってろよ」というお話を先生に指されて読み、そして席に座った時、クラスのやんちゃ坊主渡邊君の声が教室に響き渡ったのは。
普段は指されても返事も答えもしないくせに人の揚げ足とりばかりする何とも嫌な奴だった。
「感情を込めて一字一句読んだのに、何が変だっていうのよ」という思いでその子を睨んだ時、渡邊君は先程より声を張り上げてこういった。
「だって、やっちゃんの日本語訛っているもん。ここは、千葉県だよ、先生。訛るのは大阪とか向こうの方の人達だけだよ。千葉県に住んでいて訛るのはおかしいと思います」
その後、先生がどうやってこの場を静め抑えたのか覚えてないが、大好きな国語の時間にそんなことを言われ、その日一日中嫌な気分だった。
私は香川生まれで、父も母も国は讃岐である。小さい時から千葉県に住んでいるとはいえ、言葉を教えてくれる父や母が讃岐弁を話すものだから、自然私の言葉もそうなったのだろう。自分が訛っているという自覚はあったが、会話には不自由せずまた今まで友達から特に言葉について言われたことがなかったので、気にせずにいた。
「日本語が変」・・・この言葉が頭から離れず、それからというもの、人の会話に注意深く耳を傾けるようになった。確かに、父や母の言葉と他の人とでは異なっている。訛っている自分が何だか恥ずかしくなりあまり話さないように努めようと思った。
「何かあったん?」
夕飯時、私の好きな煮物を手渡しながら母が尋ねてきた。
「何もない」
「そんなら、ええけど」
会話はそれだけで、その日は母とまだ小さな妹と私との三人で静かな夕食だった。
夜、私は父に尋ねてみた。
「お父さんは、会社では訛っとらんの?」
いきなりそう切り出した娘に驚いたのか、飲んでいたビールを喉に詰まらせた父は大きく息を吸い落ち着くと、「訛っとらんね」と答えた。
私が学校で起こったことを話すと、父は「馬鹿やなぁ」と笑い出した。
「渡邊君が大阪へ行ったら、今度は渡邊君一人が東京弁で訛っとることになるんやで」
「そやけど、うちの日本語変やと言われた」
「日本語が変やのうて、発音の仕方が変わっとるだけやろ」
「お父さんは、何で会社では訛らんの?訛っとると恥ずかしいからなん?」
「会社の人はほとんどこっちの人やろ、お父さんが訛って話したら意味が通じんこともあるかもしれんやん。お父さんは訛らんでも話せるから、皆と話せるように訛らんの」
恥ずかしいからではなく、皆と話せるように共通語で話すといった父の言葉が私の胸の内を軽くしてくれた。
「うちかて、皆がわからんような言葉は使っとらんけど、発音ばかりはどうにもならんもん」
「それは、お父さんも同じや。時々生まれはどちらですかと聞かれるから、訛っとるんやろうな。大人はそこから話がはずむけれど、子供は難儀やなぁ」
父は笑いながら、ビールを口に含んだ。
「方言なんか嫌いや。何で方言なんかあるんよ」
いじけた私を取り繕うように父は方言について語りだした。昔は、山や川に囲まれて自由に行き来出来なかったからその土地独自の言葉が出来たということ、方言は日本だけではなく、アメリカや中国などにもあること等々。方言を話せるということは故郷を持っていることだという父の言葉が私の心に温かく入ってきた。
「方言と共通語の二つが話せれば、おもろいで」
この時の父の言葉が実感できたのは、中学校で放送委員になってからだった。
中学生になった時にはほとんど発音も共通語に近くなっていたが、NHKの朗読コンクールの作品を読む時、緊張すればするほど、訛ってしまう自分がいた。作品は何とか完成したが、アクセントに力を入れた分、思うように感情を込められなかった。
落ち込んだ私が立ち直ったのは、ラジオドラマを作ることになった時だった。
「やっちゃんの方言、作品に活かそうよ。関西弁のキャラを一人入れたら、面白そうだし、味も出るんじゃない」
そう提言してくれたのは、小学生まで大阪にいた伊藤君だった。伊藤君はちっとも訛っていないので、それを知るまでずっと千葉の人だと思っていた。
結局,関西弁の登場人物を急遽台本に二人付け加え、ボケと突っ込み満載の面白いラジオドラマが仕上がった。内容は、核兵器廃絶についてという立派なものだが、半分おふざけで作ったところもあったので、賞は取れないだろうと思っていたが、思いのほか成績は良く県で2位だった。
評価欄には、「関東地方の作品で関西弁が飛び交う作品に会えるとは思いませんでした」と書かれていた。これを書いた審査員はもともと関西の方なのかもしれないと私はこっそり思った。
以来、アナウンスや朗読は標準語で話さないといけないが、ラジオドラマやDJブースなどは積極的に方言を取り入れていった。茨城弁や東北のズウズウ弁を少しなら話せる子がいて、これまた面白い作品が出来上がった。
「先生、やっちゃんの日本語、変です」・・・そう言われてから10年余り。
メディアが発達しだいぶ共通語化してしまった現在、方言が絶えることを憂えながら今日も私は堂々と讃岐弁を話している。そして話せることをとても誇りに思っている。
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