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ややこしや、ややこしや。
「わたし」が「そなた」で
「そなた」が「わたし」
そも「わたし」とはなんじゃいな?
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久しぶりに稽古で汗を流し、部屋に戻ってみると鼻歌を歌っている男が一人。
「伊東先生。何をされているのですか?」
「おう、内海。腕はなまっていなかったかい。君は疲れてくると途端に投げやりになる。剣先に乱れが生じるんだ」
「はい。ご教授かたじけのうございます。・・・・・・して、何をされているのですか?」
首を傾げる内海にくるりと伊東が振り向く。
すり鉢を抱えて何かを練っている姿にますます眉間に皺を寄せる。
「・・・・・・また、怪しげなものを作っておられるのですか」
伊東はにこりと笑った。
ふう・・・・・・。
内海は深い溜息をつく。
伊東が副長の土方、そしてその小姓であるセイに興味を抱いてからというもの
度が過ぎる行いで幾度も騒動を起こし、その責めは全て傍にいる自分に降りかかってきている。
やれ、逢引だ。やれ、惚れ薬だ。やれ、寝顔を拝みにいくのだ・・・・・・。
伊東曰く「抑えきれぬ純粋なる彼らへの僕の想いなんだ。」とのことらしいが、その全てが失敗し、
その度に土方から苦情が来る。
この間など、深夜に屋根裏をつたって副長室に移動している途中、よりにもよって隣の局長室に落ちてしまい、
近藤からも「いやぁ、伊東参謀はお元気なことで・・・・・・」と苦笑されたばかりだ。
普通にしていれば、普通以上の才ある人なのに。
普通にしていないが為に、普通以下の迷惑人になる。
・・・・・・・もう厄介ごとにはかかわりたくない・・・・・・。
「ねってねるねるね〜るね〜♪」
「・・・・・・何の呪文ですか、それは」
「ふんだ。分かる人には分かるからいいんだよ」
「とにかくですね。もう私は局長や副長の前で謝るのはもう嫌ですよ。そういうときに限って、先生は屯所にいらっしゃらないし」
「・・・・・・内海」
急に真面目になった男の態度に思わず正座をする内海。
「一言言っておくけれど・・・・・・」
ピリリとする口調。
この男は急にこういう表情をするから怖い。
そして、その力に引き込まれる。
口が出すぎたかしらとゴクリと唾を飲む。
「・・・・・・逃げるは三十六計に如かず・・・・・・だよ」
やっと出来た!早速試してこようっと
そういうと、伊東は内海の小言からも逃げるように走り去っていった。
部屋には秋の夕暮れに照らされ一人佇む男が背を丸くして座り込んでいた。
※
「おお!今日は秋刀魚じゃねぇか」
「えぇ。お醤油はこちらに」
セイから醤油を受け取った土方は嬉しそうにつーと秋刀魚にかけてゆく。
隊の発足当時は食事の時、大広間に皆が集まっていたが、隊の規模も大きくなりセイが土方の小姓となる頃には、
幹部達は各部屋で食べるようになっていた。
セイは平隊士だが、小姓ということもあり副長室で食べてもいいと土方から言われたが、
礼儀上、それは叶わない。
先に大広間で食事を済ませ、土方が夕飯をとる時はこうして傍で給仕をしている。
お茶を注ぎ手渡す。
好物が出たときの土方の機嫌はすこぶるいい。
ここのところ、寝る間を惜しんで仕事をしている姿を知っているセイとしては、少しでも安らいで欲しかった。
時折、骨がはさまるのか、顔をしかめる。
懐紙を渡すと、口をもぐもぐとさせてから、小さな骨を出していった。
耳を澄ませば、鈴虫の音。
秋の風が互いの髪をさらりと揺らせ、そこには副長と小姓の何気ない日常が映し出されていた。
「副長は、秋刀魚がお好きなのですか?」
「格別、好きというわけでもないが、秋にはやっぱりこれだろ」
「ふふふ、江戸っ子ですね」
「旬のものにはちぃと五月蝿いぜ」
「ならば、明日も秋刀魚にしましょうか?」
そんな他愛もない会話をかわしているときである。
廊下から浮かれた足音が聞こえてきたのは。
土方もセイもその主を即座に理解し、そして固まる。
押入れに隠れようとも思ったが、生憎障子は開け放されており、
外からつまりその主からここが丸見えの状態なのである。
二人は、冷や汗を流しながら、その主が部屋に到着するのを待った。
「土方君!清三郎!ちょっとお邪魔してもいいかい」
内心よくないと言い返しながらも、
「えぇ、どうぞ」と不自然な笑みを浮かべる二人。
「あのね、これを食べてほしくて」
そう言いながら差し出されたのは、きな粉餅のようなものだった。
見かけは確かにきな粉餅だったが、伊東の持ってきたものである。
油断はならない。
この中に、惚れ薬や媚薬やしびれ薬が入っている可能性が大なのだから。
「何ですかな、それは」
伊東のしつけ役ともいえる内海の姿を探しながら、土方は尋ねる。
「うん。実は内海にいい加減副長に迷惑をかけるなと怒られてね。僕としては甚だ心外なんだけれども、
でも、ここは内海の言うとおりお詫びの品を渡して心証良くした方がいいかなと思ってね」
扇子で顔を隠しながら、罰の悪そうな表情を向ける伊東に土方とセイは顔を見合わせた。
「何でも、内海お勧めの御餅らしいんだ。内海が僕に持っていけとしつこくいうものだから、こうして持ってきたんだけれど」
内海の気苦労にそっと涙するセイ。
土方は「それでは後ほど頂きましょう」と皿をセイに渡す。
真偽の程は分からぬが、後で内海に聞き、確かであればそれから食べればいいのである。
セイもそれを心得た様子で、餅の上に埃がかぶらぬよう懐紙をのせようとする。
「あぁ、駄目駄目。今食べてくれなきゃ」
切羽詰ったような伊東の口調に土方の眉にしわがよる。
「それはどういう意味ですかな」
伊東ははらりと扇子で顔を隠しながら、
「内海がきちんと和解してきなさいというんだ。食べてくれたら今までのことも少しは許してくださるでしょうって。だから・・・・・・」
扇子とは便利なものである。
表情を相手に悟られぬようにできるのだから。
土方は尚も胡散臭そうな顔をしていたが、セイは違った。
「そうだったのですか・・・・・・。副長、そこまでおっしゃっているのですから、ここは一つ『内海先生を想って』お餅を召し上がられたら如何です?」
腕を組んで土方は悩む。
これを食べれば、目の前から伊東は立ち去るだろう。
しかし、何が含まれているのか分からない。
内海からという言も信用していいものか・・・・・・。
一方、セイは「さぁ」と土方に勧めてくる。
警戒心がないというか、信じやすいというか、
そこがセイの可愛らしさでもあったが、土方は首を横に振った。
「もう、副長ったら」
「良かったら、清三郎も食べてみてよ。内海は清三郎のことも気にかけていたからさ」
「えっ・・・・・・でも・・・・・・。副長へのものを私が頂くわけには・・・・・・」
ちろりと土方をみるとやめとけというように首をまた横に振った。
「僕もさ、少しやりすぎたとは思っているんだ」
しゅんとする伊東にセイは少し考えてから、そしてくすりと笑った。
「では、せっかくなので。私も頂いてもいいでしょうか。先生が抱擁さえしなければ伊東先生のことも嫌いではないので」
にこり。
その笑みに伊東の顔がぱぁっと明るくなる。
「今回は、『内海先生の為に』ですからね」
「分かっているって」
「では」
はむ。
餅を口にした瞬間、伊東の顔が扇子の内側でにやりと笑む。
ふっふっふ。
この餅は口に入れて最初に目が合った者と中身が入れ替わる東洋の珍薬が入っているんだ。
「清三郎」
下を向いて食べていたセイの顔がゆっくりゆっくりと名を呼んだ伊東の方へ振り向く。
目が合うまで、三寸。二寸。一寸。
伊東のにやけ顔が全開になる。
その時だった。
ぺしっ
「馬鹿野郎。はい、そうですかと口に入れる奴があるか」
セイの手をはたいた土方。
「何よ。だってこういう好意は素直に受け取らなくちゃ悪いじゃないですか」
眉をつりあげるセイが見たのは、伊東ではなく土方。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁあああああああああぁああああ!!!」
突然両手で頭を抱え込みながら、うずくまる伊東に二人は視線を移す。
「何てことだ。あと、もう少し。もう少しだったのに・・・・・・。土方君の・・・・・・いけず!!!」
うわぁ〜んと泣きながら去る伊東にあっけにとられる二人。
「何だあいつ。相変らず、わけわからねぇ」
「本当に・・・・・・。もぐもぐ・・・・・・どうされたのかしら・・・・・・」
「・・・・・・って、食うなよ。何が入っているか分からねぇんだぞ」
「ご心配いりません。普通のきな粉の御餅ですよ。毒見なら済みました。副長も如何ですか?」
ごくり
セイが御餅を食べ終わり、土方に皿に差し出したときだった。
「ん?」
「あれ?」
一瞬眩暈に襲われる。
再び目を開いた時には、自分の顔が目の前にあった。
双方、しばらく言葉が出ない。
「何で、私が目の前にいるの?・・・・・って、どうしてこんなに声が低いの??」
「何で、俺が目の前にいるんだ・・・・・・って、どうしてこんなに声がガキみてぇな声なんだ?」
「私が副長で、副長が私?」
「俺が神谷で、神谷が俺?」
・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
「「いったい、どうなっているんだぁ!!!!!」」
二人の大声に庭の虫たちは一瞬、静まった。
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