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ややこしや、ややこしや。
「わたし」が「そなた」で
「そなた」が「わたし」
そも「わたし」とはなんじゃいな?
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「もうそろそろお昼時よね・・・・・・」
コトリ。
墨を含んだ筆を置いてセイは背伸びをする。
土方から言われた仕事も何とか終わり、後は監察方が伊東を連れてくるまでの間ゆるりと過すだけである。
「くぅ〜ん」
セイが目つきが誰かに似ているからという理由で「歳丸」と名づけられた犬が擦り寄って来た。
歳丸はかしこいのか、セイが仕事をしている間は部屋の隅で邪魔をせぬよう伏せており、こうしてセイが一休みすると気配で分かると
擦り寄ってくるのである。
「歳丸もお腹空いた?」
くぅんと顔をセイに寄せる。
「私も空いちゃった。ここでいい子にしていてね。私と歳丸の分、お昼もらってくるからね」
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を閉じる歳丸。
書き終えた書類を所定の位置に置き、セイはよいしょと立ち上がる。
「じゃぁ、行って来るね」
歳丸は分かったとでもいうようにその場で伏せた。
(そういえば、『副長』には『小姓』がいつも部屋にお食事を運んでいるだもんね。今の『小姓』は稽古へ行くといったきり戻らないけど、『副長』に食事を持ってくるような気の利く人じゃないだろうしね。まぁ、あの鬼副長がしおらしげに私に食事を運んできたらそれはそれで怖いけど)
くすっ。
土方が自分に食事を運んでくる姿を想像して思わず笑みがこぼれる。
そんなセイだから周りの様子に気付かない。
(おい、見たか。三鷹)
(川崎、くだらねぇこと言ってる暇があれば、井戸水組んできてくれよ。朝の神谷との稽古で青タンができちまったんだ)
(いいから見てみろよ。あの某お方が笑っているんだぜ)
(何?)
(藤崎。お前今の見たか)
(おっ、おう。一瞬己の視力が落ちたのかと思ったが間違いではなかったのか)
(あの鬼副長が笑ってるよ。歴史的瞬間だ)
(しかも、いつものこう『にやり』としたものではなく、実に自然な笑いなのが返って怖ぇ)
(両手を口に当ててどこか可愛らしく笑っているなんて、明日雨が降るんじゃねぇか)
(雨ぐれぇで済むならいいけどよ)
(河田。今俺達は聞いてはいけないものを聞いてしまったか?)
(いんや、沢田。「見てはいけないものを見てしまった」だろう)
(どっちにしてもよ、あの副長が鼻唄歌っているなんて・・・・・・)
(何かいい事でもあったのかな。また一人の女から想いを寄せられたとか)
(ばっ、馬鹿。口は禍の元だぜ。あの人に聞こえたらえらいことになる)
セイは通りすがる隊士が自分を見ては一礼した後、ズサササササササーっと去っていく様子に気付いた。
一瞬「あれ?」とは思ったが、今自分は「鬼副長」なのだ。
「副長っていつも廊下を歩く度にこうして隊士達から怖がられているなんて。知ってはいたけど、実際にそういう目に合うとちょっと悲しいなぁ。
だからますます機嫌が悪くなっちゃうんだわ。・・・・・・ちょっと可哀想・・・・・・」
とセイは隊士達とは異なる方向で「鬼副長の怖さ」について考えていた。
ぷうんと匂ってくる台所。
お味噌の良いにおいがする。
「あのぅ、すみません。お昼いただけませんか?」
いつもの調子でひょこんと扉から顔を出したセイだが、それを見た賄い方の表情がとまる。そして凍りつく。
セイにはその理由が分からない。
自分の後ろに問題があるのかとひょいと後ろを振り向いてみても何もない。
「えっと、あの・・・・・・。お昼・・・・・・」
そう一歩を踏み出した時だった。
「申し訳御座いません!ただいま!ただいま、ご用意いたします!!」
「おい、寺崎。なにぼけっとしてんだ。盛り付けろ。竹内、おまえは膳を用意しろ」
呪縛から解かれた隊士達は、セイの目を見る度平謝りしてはものすごい速さで仕上げてゆく。
「あの、まだでしたら、後でまた・・・・・・」
「いえいえ!すぐに御用意致します」
首が千切れるのではと思うほどブンブンと横に振りながら竹内は答えた。
そうこうしているうちに出来あがったお膳。
隊士達はおそるおそる膳をセイに差し出す。
「すみません。なんだか急がしてしまったみたいで・・・・・・」
「いえいえ。土方副長が直々に昼飯を取りに来られるとは思いもしませんでした。その・・・・・・いつもは、神谷が来るもんで。
そのでも、あの昼飯の用意が遅くなったのは、故意ではありません。だからその・・・・・・」
しばらく呆気にとられていたセイが、くすりと笑った。
「まさかそんなことで士道不覚悟になるわけないじゃないですか。いつも大人数分の御飯の用意、お疲れ様です」
何だかいつもと異なる温和な口調で近付く土方。
やけに優しげな語調が逆に怖い。
裏に何かがありそうだ。
土方が手を伸ばす。
殴られる!
賄い方その一寺崎は目をぎゅっとつぶった。
が、己がなぐられることはなく、
「寺崎さん。ほっぺにお味噌がついてますよ。ほらここ」
そういうと目の前の土方は己についていた味噌を優しく人差し指で取るとそのままぺろりと舐める。
あまりの行動にそこにいた隊士全員が先程とは異なる意味で凍りついた。
「それでは、お昼。頂きます」
ぺこりと頭を下げたいつもとおかしい『土方』は鼻唄まじりで去っていった。
呆然とした隊士達が釜の前で佇む。
沸騰した鍋から中味がこぼれた音で漸く隊士達の意識が戻ってきた。
「今のは夢か幻か。はたまた現か」
かすれた声でいう寺崎に
「俺は、夢だと思いたい」
「・・・・・・先程の副長は夢、幻だと思う人、手を上げろ。・・・・・・満場一致でさっきのは夢・幻と致します」
乾いた拍手が台所でおこった。
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