冬の夜空は清んでおり、深呼吸すると冷たい空気が体内に行き渡る。
対峙した二人の武士は互いに動じない。
一人は抜き身の刀を手にし、
一人は両手を懐にいれたまま。
月明かりが心許ない今宵は、小柄な武士が手にしている提灯のみがうっすらと辺りを照らす。
セイは先程から己をつけてきた相手を確認すると、体から力を抜いて納刀した。
「童が外で遊ぶにはふさわしくない時間帯だな」
未だふところに手を入れたままの土方は真っ直ぐとセイ見下ろす。
その鋭い眼差しに威圧感をひしひしと感ずるが、最早死を覚悟していたセイには心地良い剣気と感じた。
「なら、おいたをした私を折檻しますか」
戯言のように軽く笑いながらいうセイに土方はさらに無言で気を強く放った。
「門限に間に合わなかったから脱走としてみなされる・・・・・・そう覚悟はしていたんですけれども。まさか、貴方が追手だとは思いませんでした。今宵こんなにも都合よく黒谷からお戻りになられるとも思わなかった。でも・・・・・・。副長に・・・・なら本望です」
セイは納刀した大小を腰から外し、手前に放った。
重い鉄の音が、しんとした宵に響く。
「門限だけが、理由か。今まで奴と何をしていた」
「・・・・・・流石は、副長。しかし、矢張りといった感じでしょうか。今の伊東参謀に監察方がついていないはずはありませんから。私のことは、すでにお見通しなのでしょう。直属の上司である副長の貴方に無断で伊東参謀の誘いを受け、外出し、門限を無視し料亭で話をし、そして帰途についていた。監察方の報告通りで申し開きする儀はございません」
「神谷」
低くドスを効かせた声にセイは笑みを向けるだけ。
「私のことを信じて下さいとは言いません。ただ、もしよかったら心の隅にいさせてください。私は決して間者なんかではないということ。決して貴方を困らせるようなことはしていないということ。短い間でしたけれど、副長の小姓をすることができて、良かったです。鬼の素顔を見られたことが私には一番嬉しかった。一時でも遊びでも私を女として扱って下さって嬉しかった。女子と偽っていたと露見したときも武士として上出来だとまで言ってくれた言葉が本当に嬉しかった」
「外泊許可のことは、永倉から聞いている」
「そうですか・・・・・・。では、恋文も届いたんですね」
土方は懐から文を取り出す。
セイが出かける前に永倉に土方へ渡すよう頼んだ文である。
中にはただ一句、しなやかな文字でさらさらと書かれているのみ。
あらざらむ この世のほかの思ひ出に いま一度の逢ふこともがな
(間もなくこの世を去る私ですが、あの世での想い出にせめてもう一度お目にかかりたい)
抑揚のない声で詠む土方にセイは哀しい笑みを浮かべた。
※
遅い夕飯を食べ終えた総司は廊下に座り込んでいる藤堂の姿を見つけた。
暗い夜空を心痛な面持ちで見上げている藤堂が今にも消えてゆきそうに感じた。
「どうしたんです、こんなところで、藤堂さん」
隣に同じように腰を下ろすと、藤堂は場所を譲る為、腰をずらした。
「ねぇ、総司。覚えている?僕と初めて仕合った時のこと」
「えぇ、私から一本取られるまで離れないというあの日ですね」
「いつか、僕、総司から一本とれるかな」
刀を構える仕草をし、藤堂はえいっと振りかぶった。
「・・・・・・とらせません」
「自信満々だね」
「私は、藤堂さんと離れたくは無いですからね、絶対に一本取られないようにします」
「・・・・・・総司」
「こんな私の我侭で藤堂さんが武士として歩もうとしている道をふさいでしまってはいけないのは分かっているんです。でも、私はあの人が辛い顔をするのをみたくない。もう、見たくないんです」
「なぁんだ。皆、知っていたのか」
藤堂は大きく背伸びをする。
「原田さんも永倉さんも少し前からだけれども、何かと僕に話しかけてくるようになったんだ。向こうが何も言わずに酒を飲みに行こうというから、僕も何も言わずに酒を飲んだ。でも、気付いていたんだよね。僕も彼らも。何も言わなくても、何を言いたいのか、何を言わんとしているのか。でも顔は笑っているんだ。心で泣いてね。酒を飲むといいながら、その実、心と心をぶつけ合っていた。何も言わない彼らの優しさが嬉しかったからそれに甘えていた。でも、やっぱり総司にも土方さんにも近藤さんにも源さんにもずっと僕のことを知られていたんだね」
「それは・・・・・・仲間ですから・・・・・・かけがえのない仲間ですから・・・・・・」
「うん。そうだね。仲間だね。でも・・・・・・山南さんも仲間だ・・・・・・。・・・・・・総司がどうしてそんな顔をするのか分かっている。でも、僕にとって山南さんは本当に本当に大切な人だったんだ。あの時、もし僕がその場にいれば、京にいればって『れば』を繰り返してしまうんだ。深い闇の渦に吸い込まれる僕に二つの手が差し出されて僕を助けてくれようとした。土方さんと伊東先生と。でも夢中で僕がしがみ付いた手は伊東先生だった。・・・・・・きっと、うん、それだけのことなんだ」
「・・・・・・藤堂さん」
「僕ね、思うんだ。山南さんもこんな気持ちを抱えながら脱走したのかなって。山南さんは出来た人だから、逃げも隠れもしなかった。でも僕は駄目だ。
きっと一度脱走したら怖くて日本中を逃げ回ってしまいそう。でも、伊東先生と一緒に行動を共にするのならば少なくとも逃げ隠れはできない。だから
これは僕の枷なんだ」
総司は藤堂の顔を見るが逆光故にどのような表情をしているのかが分からない。
「僕が総司に何度挑んでもどうして勝てないのか漸く分かった気がする。技や気組の問題じゃない。総司にあって僕にないもの。それはきっと・・・・・・」
藤堂の口元を総司は見つめる。
「あっ、いけない。今日の巡察の報告が終わっていないや。ちょっと近藤先生のところへ行ってくるね。・・・・・・そんな顔しないでくれよ。僕は総司を困らせたいと思ったことは一度もないんだ。本当だよ。それに土方さんの事が憎いわけではないんだ。そう思えたらどんなに楽になることか。憎みきれないからこそ・・・・・・・、僕は・・・・・・」
腰を上げた藤堂の顔から光る雫がそっと落ちたのを総司は黙って見ることしか出来なかった。
※
「さて・・・・・・、いつまでそこにいるつもりだ。某よ」
伊東はトンと背にしていた壁を刀でつついた。
しばらくして姿を現したのは、たすきがけをしいつでも踏み込める態勢をとっていた三木だった。
罰の悪そうに俯きながら伊東の前に姿を現す。
「あの・・・・・・兄上・・・・・・」
「十貫痩せるまでは、兄と呼ぶな」
伊東は徳利を傾ける。
三木が背後に居ることはセイも気がついているようだった。
「しかし、清三郎と今後供に行動をとる可能性が薄いと分かり、至極残念だ。失礼だがあの土方君に、どうしてついてゆく人がいるのかが理解できぬ」
そういうと、
「ふふふ、あの方の『真』の姿を理解するには、月日が要ります故。けれど、伊東先生?先生についてゆかれる人もおられるようですよ」と
ちらりと伊東の背後の壁に意味ありげな視線を送りセイはにっこりと笑った。
「あの・・・・・・兄上?」
伊東は素知らぬふりをして盃を口に運ぶ。
「あまり飲まれない方が・・・・・・。兄上は、普段飲みなれていないですから・・・・・・」
けれど、伊東は飲むのを止めない。
三木はいつも冷静でそして勝気な兄がやけ酒しているのを初めてみた。
顔を紅く染め、ふてくされているような兄の姿を見たのは、昔父上に叱られている兄を奥からそっと覗いたあの時以来ではないだろうか。
「兄上」
三木はそっと伊東に近付く。
「兄上が歩まれる道に間違いはないと思っております。三木はどこまでも兄上についてゆきたいと思っております。幼い時から、信頼できそして心許せるのは兄上だけと思っておりました。母の姿恋しく私を毎夜慰めてくれた兄の姿は本当に母の姿とも重なり、敬愛の念を抱きました。己を律することが出来ず、養父母にも御迷惑をおかけしたときも自分は何て体たらくなのだと生きてゆく価値がないのだと思う傍ら、兄上に一目会いたいと強く思っておりました。だから、これからも兄上の傍にいたいと・・・・・・」
「・・・・・・もういい」
「兄上?」
「お前の言上は酒が不味くなる一方だ、三郎」
フンと鼻を鳴らすと伊東はコトリと盃を置いた。
三木は初めて名で呼ばれたことが嬉しくて体中が熱くなった。
そして、同時に今後待ち受けるだろう近藤、土方からの罠から何としても兄を守らねばと強く思った。
伊東は利口で何をさせても器用にこなす。
だからこそ、一度上手く行かないことがあると、そういうことに慣れていないだけにとても気を病ませるのだ。
そううところは、幼い時の頃と変わっていないようで、自分の手の届かないところへいってしまったと思っていた伊東がとても身近に感じられ、
三木は伊東が残した盃の中にある酒を一息に飲んだ。
※
「あらざらむ この世のほかの思ひ出に いま一度の逢ふこともがな・・・・・・か。こうなることは分かっていたということか」
土方は柔らかな文字で認められた歌を詠む。
「えぇ、貴方が居ない間の伊東先生はそれはそれは好き放題でしたよ。すぐに抱きついてくるわ、流し目で見てくるわ。
あとは・・・・・・『土方君』を愛しいとおっしゃられる一方で『土方副長』の悪口を平隊士へあからさまに言ってみたり。そうすることによって、誠衛館出身の先生方や小姓の私の反応を見ているふうでもありました。先生方は軽く笑っていらっしゃったけれど、私はそういうときに笑えるほど人間ができていませんから。何食わぬ顔して伊東先生のお誘いを受けました。昼間頂いたんです。『恋文』を。けれど、きっぱりお断りしてきました。貴方とは付き合えませんと。だって、私にはもう『恋文』を渡した方がおりましたから」
セイは笑みながら土方を見る。
真っ直ぐ見る。
瞼に焼き付ける。
もうすぐ、別離なのだ。
どこまでも澄んだ瞳で見つめられた土方は『恋文』を懐にしまい、刀を手にする。
キン
闇夜に鯉口を切る高音が響いた。
セイは両の手を広げて、そして涙を流した。
「・・・・・・嬉しい」
今、まさに斬られんとしている者の口から出る言葉には似合わないそれに土方は眉をひそめた。
「・・・・・・本当はね、伊東先生の誘いを知らぬ振りをしようと思っていたんです。けれど、私の中に賭けたい気持ちが湧いてきたんです。もし、私が行動を起こして、
副長が何もなかったことにするのならば、私を『女』としてみている、逆に何らかの罰を下すのであれば、それは『武士』としてみて下さっていると。
そして、副長は今刀を手にしていらっしゃる。先程副長に女として接して下さったことが嬉しいといいました。その気持ちに嘘はありません。けれども、女としてではなく一人の武士として土方歳三という男の生き様を傍で見て支えたい。これが私の『真』であり『誠』なのです」
涙で目の前の男の姿がにじむ。
最初父と兄の敵討ちの為に入隊した。
次第に恋心を抱いた人を守りたいがために隊にいる自分に気がついた。
武士としてではなく、女として。
月代を剃って袴をはいて、武士のなりはしているけれども、心は女だった。
武士だ武士だと事ある毎に口にしていたのは、逆に言えば自身は女子だということを自覚しているがゆえの言動。
何という体たらくなのだと叱咤する自分に住み着いたのは目の前の男だった。
確かに男に抱かれ、女の自分を捨てきれずにいた。
だが、以前とは異なるこの想い。
その正体に気がついたとき、漸く自分にも「真」の「誠」ができたと嬉しかった。
男は女に近付く。
月明かりに乏しい夜なので、刃は光らない。
遠くに見える町の明りでぼんやりと刀が見えた。
女は瞳を閉じる。
高鳴る鼓動を抑えもせず。
目の前で一度男は止まった。
女は気配でそれを感じる。
恐怖はない。
過去に長人とやりあった時に、一度自分と同じ年頃の者がいた。
惨殺だったのにも関わらず、死に顔は穏やかで、吸い込まれるような表情をしていた。
あの時は、どうしてそういう顔をその者がしたのか分からなかったが、今なら分かる。
悔いのない死を遂げる時は自然と笑みが浮かぶのだ。
あぁ、『誠』とはこういうことなのか。
きっと、目の前の男もその時が来たら、得意のにやりという顔をするのだろう。
「さようなら、土方副長」
女の口が小さく動いた。
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